ロトの救出

父と子と聖霊の御名によりて アーメン

霊操23日目 創世記14章

王たちの戦いの後,

逃げ延びた一人の男がヘブライ人アブラムのもとに来て,その事を知らせた。

アブラムは当時,アモリ人マムレの樫の木のかたわらに住んでいた。

マムレはエシュコルとアネルの兄弟で,彼らはアブラムと同盟を結んでいた。

アブラムは,親族の者が捕虜になったと聞いて 彼の家で生まれた奴隷で,試練を受けた者318人を召集し ダンまで追跡した。

夜 彼としもべたちは分かれて敵を襲い ダマスコの北のホバまで追跡した。

アブラムは全ての財産を取り返し 親族のロトとその財産 女たちやそのほかの人々も取り戻した。

ー黙想ー

ノアの息子のセムの子孫であり テラの息子であるアブラム。亡き兄弟ハランの息子ロト。

テラが250年の天寿を全うした後,アブラムに主の召命があった。アブラムと妻のサライ,甥のロトはそこを出立し,エジプトに滞在した。

そして再びネゲブ地方へ戻ったとき,彼らが所有する者たちが諍いを起こすようになった。

アブラムは別れを決め,ロトに行き先を選択させる。ロトは,ノアが呪った息子ハムと,その息子カナンの諸氏族の領土であるソドムとゴモラを選んだ。そこの住民は邪悪で,主に対して甚だ多くの罪を犯していたため 主が滅ぼそうとしていた領土だった。

そして 王たちの戦いが起きた

ソドム王ベラ,ゴモラ王ビルシャは,逃げる時にアスファルトの穴に落ち,残りの王らは山へ逃げた。

そして,ソドムに住んでいた甥ロトは,支配者の王らの捕虜となった。

財が奪われ 連れ去られ 捕虜になったら,すぐによりすぐりの兵を召集し なんとしても取り戻しに行く。

勝つか負けるか,しのごの言わず それが当たり前の事として救けに行く 財産を取り返しに行くのだ。

それが 旧約の時代。

さて,現実の今の時代,これには,考え・価値観が分かれるところでしょう。

何故なら,あまりにも死の連鎖を繰り返してきたから。そして 繰り返す事になるから。

破壊につぐ破壊 荒廃につぐ荒廃

これは止めるべきだね。

日本はそもそも兵力がないので 紛争地に行かない無責任な人々が,いくら戦え戦えと威勢よく叫んでみたところで じゃあお前が法を破って行けよ そんな覚悟あるのか となるわけです。戦勝国であり同盟国に お金を払ってたすけてもらうのが 当たり前なのです。しかも少子化ですからね ろくな学校教育も受けていませんし。

未だに 弱い者いじめと隠蔽がまかり通る10代を過ごした若者たちを よそさまの領土にやったら恥を晒すだけ。 

仮に行かせるなら,ベテランの,すでに子孫を残した,少しは社会から学び,恥と分別をわきまえる事を学習したはずの 40代50代の隊員たちしか出せない。

➖死の連鎖を止める➖

そのために国際法というものできた。司法で解決するべきと。

それには,世界中のリーダー、トップの価値観を転換しなくてはいけない。

なのだけれども,司法が怠っている 不平等 忖度ばかりしている 待てない 証拠がとれない 迅速に損害を食い止めたい 一刻も早く救けなくては という国々 人々がいる。

そこで新訳はいう

待ちなさい 復讐は神のすること 神にはなんでもできるから と。全ては 神の御計画なのだと。あなた方は聖霊を受け,ただ ひたすら信じて祈り 待ちなさい と。

それを信じるのが キリスト信者。

その教えを受け入れるのが キリスト信者。

そして 世界にはさまざまなキリスト教会 教団 宗派がある。

そしてその価値観も教えも 違う事が多々ある。

さらに 世界には無数の宗教 教団 カルト(共産主義 無神論も含めて)が存在する。そして 奴隷も

実際 キチガイのような人間たちも存在する

何をしても護られる者たちもいれば,ちょっとしたことでも責め立てられる者たちもいる

自由と民主主義の国民は 国民が選択した代表が決定をくだす。

本来,代表を選択する前 選挙の前に,提示するべきよね。

国防について。

さて 今のあなたが信じるものは何ですか?

金持ちの青年

年間26主日B年

父と子と聖霊の御名によりて アーメン

マルコ福音書10章17〜

イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた

「善い先生 永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか」

イエスは言われた

「なぜわたしを『善い』というのか」

「神お一人の他に 善い者は誰もいない」

「『殺すな 姦淫するな 盗むな 偽証するな 奪い取るな 父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ」

すると彼は、「先生、そういうことはみな 小さい頃から守ってきました」と言った。

イエスは彼を見つめ “慈しんで“言われた。

「あなたに欠けているものが一つある」

「行って持っている物を売り払い 貧しい人々に施しなさい。そうすれば 天に宝を積む事になる」

「それから わたしに従いなさい」

その人はこの言葉に気を落とし 悲しみながら立ち去った。

たくさんの財産を持っていたからである。

イエスは弟子たちを見回して言われた。

「財産のある者が神の国に入るのは なんと難しいことか」

弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。

イエスはさらに言葉を続けられた。

「子たちよ 神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」

弟子たちがますます驚いて

「それでは、誰が救われるのだろうか」と 互いに言った。

イエスは彼らを見て言われた

「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ」

ペトロはイエスに

「この通り わたしたちは何もかもすててあなたに従って参りました」

と言い出した。

イエスは言われた

「はっきり言っておく。わたしのため また 福音のために 家、兄弟、姉妹、母、父、子ども、畑をすてた者は誰でも、今この世で迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子ども、畑も百倍受け 後の世では永遠の命を受ける。」

「しかし 先にいる多くの者が後になり 後にいる多くの者が先になる」

ー黙想ー

この金持ちの青年は、わざわざイエスさまに関わろうとたずねる必要はなかったけれど、自らすすんで身を乗り出し話しかけた。

その地を去り、旅に出ようとする一行のところに 走りより、跪いて。

金持ちで、立居振る舞いもよくできた 生活にも困っていない、何も不自由のない人なのだ。

さらに、永遠の命を得るにはどうしたらよいかとイエスに問う。

彼は、なぜ 出立の時に走ってきたのか。

ここは 皆が黙想するところ。

一人一人違うね きっと。

今 この時を逃したら!そう思って急いできたのかな。迷いながらも勇気を出して走ってきたのかな?それとも誰かに言われてきたのかな。

彼はその答えを本当に知りたかったのかな。

さて、掟を幼い頃からきちんと守ってきた青年を イエスは愛情こめて見つめた。イエスが旧約の掟を大切に思っている事がわかる。それを幼い頃から素直に守って生きてきたこの青年を 嫌いではない むしろ好感を持っていることがわかる。

なんだけれど、どれほどの覚悟か。

この時代のこの時、本気でイエスについて行くという事は 地上でどれほど苦しむことになるか。この時 イエスの旅に同行できるふさわしい人 必要な人は 何もかもすてて イエスを信じてついてこれる人だけ。

「神おひとりの他に 善いものは誰もいない」

「ぜひ あなたもわたしの弟子になりなさい」と イエスに召されると期待していたのかもしれないね。

彼は “永遠の命“をすでに受け継ぐ資格が自分にあると思っていたのだろう。幼い頃から モーセの掟を守って生きてきたのだから。

ところが、そうではない事を知った。

褒められ 認められ ぜひにと言われると期待していた なんなら 自分からそれをお断りする事も考えたであろうこの青年に イエスは 最も簡単で単純な しかし彼には最も厳しい事を言った。

全てを手放すことができますか?

あなたが勝手に 関わりたいと 言ってきたのですよ?

永遠の命を受け継ぐ方法を教えてください と。

それは 全てをすてて イエスに従う事ですよ と。

この時、地上の身内 財産 価値を抱えたまま イエスの使命を実現する事は不可能。

ここの箇所で気がついた事 ありませんか?

イエスが弟子に話した事

「わたしのために家 兄弟 姉妹 母 父 子ども 畑を捨てた者」は誰でも 「家 兄弟 姉妹 母 子ども 畑も百倍受け」後の世では永遠の命を受ける。父が消えているでしょ?

天国の「命にいたる木」を思い出して。

つまり あなたの霊魂が天国に戻ることができたなら、父である神が一人おられ あとは何も心配ないということでしょう。アダムもエバも そうだった。何一つ 不自由なく 必要なものはお父さんの神がなんでも与えた。

そして アダムとエバの子孫である地上の無数の霊魂はみな、天の国に戻るまで 地上の旅を続ける。何百年 何千年 何万年と・・・

地上にある時だけなのだ 財産 地位 名誉 家族 畑 人間がそうしたものに縛られるのは。

そして「キリストの信者」というのは これら全てを信じた人の事を言う。信じているから信者なのだ。

神の民の安息

父と子と聖霊の御名によりて アーメン

ヘブライ人への手紙4

「今日 あなたたちが神の声を聞くなら、心を頑なにしてはならない」

神の言葉は生きており 力を発揮し どんな両刀の剣よりも鋭く 精神と霊 関節と骨髄とを切り離すほどにに刺し通して 心の思いや考えを見分ける事ができるからです。

さらに 神の御前では隠れた被造物は一つもなく 全てのものが神の目には裸であり さらけ出されているのです。

この神に対して 私たちは自分のことを申述べねばなりません。

➖黙想➖

だから聖霊がこう言われるのです

「今日 あなたたちが神の声を聞くなら 荒野で試練を受けた頃 神に反抗した時のように 心をかたくなにしてはならない」

「荒野であなたたちの先祖はわたしを試み ためし 四十年の間わたしの業をみた」

「だからわたしは その時代の者たちに対して 憤ってこう言った『彼らはいつも心が迷っており わたしの道を認めなかった』」

そして それゆえに 彼らをわたしの安息日にあずからせない

恐ろしいね 神から拒まれた人々は。

彼らが神を拒んだのではなく 実は 神が憤って彼らを拒んだというのだ。

よほど当時の彼らは反抗的だったのだろう。モーセも相当手こずったのが目に見える。

でもね神さま、

彼らだって大変だったと思うよ?荒野で行先も見えず 相当歩かされたし 雲はいつ止まり いつ動くかわからない。その度に出立しなきゃならないし また 長い道を砂漠のあっつい中歩かなきゃならない。

喉も乾くし お腹もすく。あなたはモーセや長老たちにしか声をきかせず、ひたすら ただひたすら 歩かされる群衆の身にもなってくださいな。ロボットじゃないんだから。

「ただ信じろ」

そう ただ信じればいいのはわかるけれど、わたしが当時の群れにいたら 愚痴どころか抗議したわ。そしてモーセを困らせたろうね。

神の業を目にしていながら その恩恵にあずかっていながら それを認めようとせず 感謝もせず 心を頑なに閉ざす

でも、あなたはイエスさまが地上に現れてから変わりましたわ。

とても穏やかで優しくなった。あの時は 確かに 約束の地に導くために 急いでいたのでしょうね。モーセが あなたと民の間で どれほど大変だったかよくわかります。

長老らもモーセの重荷を担う事となってからは だいぶ少しは モーセの苦労も軽くはなったと思うけれど。

モーセは大変でしたね。

イエスさまは、「大変じゃん!」どころではなかったけれど。 

あなたが今日神の声を聞くなら 心を頑なに閉ざしてはいけない

わたしは今日も生きている

そしていつかは土に還る

だれもがそう

あなたも わたしも

地上に生きるうちに 神を求めよ

荒布をまとい 神に感謝せよ

アーメン

知恵の値打ち

父と子と聖霊の御名によりて アーメン

知恵の書

年間28主日

わたしは祈った すると悟りが与えられ、願うと、知恵の霊が訪れた

わたしは知恵を王笏(おうしゃく)や王座よりも尊び、知恵に比べれば、富も無に等しいと思った

どんな宝石も知恵に勝るとは思わなかった 知恵の前では金も砂粒にすぎず、知恵と比べれば銀も泥に等しい

わたしは健康や容姿の美しさ以上に知恵を愛し 光よりも知恵を選んだ 知恵の輝きは消える事がないからだ

知恵と共に全ての善がわたしを訪れた 知恵の中には量りがたい富がある わたしはそれらをすべて楽しんだ

知恵が導いているからである

だが、知恵がその産みの親だとは知らなかった 素直な心で学んだ事を 惜しみなく伝えよう

わたしは知恵の富を隠すことはしない 知恵は人間にとって無尽蔵の宝、それを手に入れる人は神の友とされ、知恵のもたらす教訓によって高められる

義を愛せよ 国を治める者たちよ 義を愛せよ、善良な心で主を思い、素直な心で主を求めよ 

よこしまな考えは人を神から遠ざけ 主の力は、試そうとする愚か者の罪深さを暴く

知恵は人間を慈しむ霊である。しかし神を汚すものを赦さない。神は人の思いを知り 心を正しく見抜き 人の言葉をすべて聞いておられる

主の霊は全地に満ち 全てをつかさどり あらゆる言葉を知っておられる

神を信じない者の企みは暴かれ その言葉は主の耳にまで達し その不法は懲らしめられる

➖神を信じない者の人生観➖

我々の年月は影のように過ぎ行き 死が迫る時には手のつけようがない 死の刻印を押されたなら取り返しがつかない だからこそ目の前にある良いものを楽しみ 青春の熱情を燃やしこの世のものをむさぼろう。高価な酒を味わい 香料を身につけよう。

野外のいたるところで馬鹿騒ぎをし どこにでも歓楽の跡を残そう。これこそ我々の本領であり定めなのだ

神に従っているあの貧しい者たちを虐げよ。寡婦だからといって容赦しない。白髪をいただく老人も敬いはしない。

弱さなど何の役にも立たない。神に従う人は邪魔だから,騙して陥れよう。

神に従う人は 神を知っていると公言し 自らを主のしもべと呼んでいる。彼らの存在は我々の考えを咎め立てる。だから見るだけで気が重くなる。

その生き方が他のものとは異なり その行動も変わっているからだ。

➖神に従う人の受ける報い➖

神に従う人の魂は神の手で守られ、もはやいかなる責め苦も受けることはない。愚か者たちの目には彼らは死んだ者と映り この世からの旅立ちは災い 自分たちからの離別は破滅に見えた。

ところが彼らは平和のうちにいる。

人間の目には懲らしめを受けたように見えても、不滅への大いなる希望が彼らにはある

わずかな試練を受けた後、豊かな恵みを受ける

彼らは国々を裁き 人々を治め 主は永遠に彼らの王となられる

主により頼む人は真理を悟り 信じる人は主の愛のうちに主とともに生きる

主に清められた人々には恵みと憐れみがあり

主に選ばれた人は主の訪れを受けるからである

アーメン

王たちの戦い

父と子と聖霊の御名によりてアーメン

霊操23日目

創世記14章

シンアル王アムラフェル エラサル王アルヨク エラム王ケドルラオメル ゴイム王ティアドルの4人の王が,

ソドム王ベラ ゴモラ王ビルシャ アドマ王シンアブ ツェボイム王ジェムベル ツォアル王ベラの5人の王と戦った時,

これら5人の王は皆 シディムの谷,塩の海で同盟を結んだ。

彼ら(ソドム王・ゴモラ王・アドマ王・ツェボイム王・ツォアル王5人)は12年間 (エラムの王)ケドルラオメルに支配されていたが,13年目に背いたのである。

14年目に ケドルラオメルとその味方の王たちが来て アシュテロト・カルナイムでレファイル人を ハムでズジム人を シャベ・キルヤタイムでエム人を セイルの山地でフリ人を撃ち 荒野に近いエル・ハランまで進んだ。

彼らは転進して

エン・ミシュパト,すなわちカディシュに向かい アマレク人の全領土とハツェツォン・タマルに住むアモリ人を撃った。

そこで ソドムの王 ゴモラの王 アドマの王 ツェボイムの王 ツォアルの王は 兵を繰り出し シディムの谷で彼らと戦おうと陣を敷いた

エラムの王ケドルラオメル ゴイム王ティドアル シンアル王アムラフェル エラサル王アルヨク 4人の王に対して これら5人の王が戦いを挑んだのである。

シディムの谷にはいたるところに天然アスファルトの穴🕳があった。

ソドムの王とゴモラの王は逃げる時 その穴に落ちた。

残りの王は山へ逃れた。

ソドムとゴモラの財産や食糧はすべて奪い去られ ソドムに住んでいたアブラムの甥ロトも 財産もろとも連れ去られた

ー黙想ー

アスファルトで思い出しませんか?バベルの塔。

ハムの息子でありカナンの兄弟でもあるクシュ。クシュの息子のニムロドは地上最初の勇士となった。主の御前に勇敢な狩人であり その王国はすべてシンアルにあった。

その後彼は アッシリアに進み ニネベ、レボボ・イル、カラ、レセンの町を建てた。

その間 東の方から移動してきた人々が シンアルの地に平野を見つけ そこに住みついた。

「レンガをつくり それをよく焼こう」石の代わりにレンガを しっくいの代わりにアスファルトを用いた。

この人びとは 主によって全地に散らされたものの そこよりすでに進んだ道具 材料を使う優れた知恵や技術を持っていた事がわかる。

そして そのアスファルトの穴に ソドムとゴモラは落ちる事となる。

邪悪で 主に対し多くの罪を犯していたソドムとゴモラを 主は滅ぼすつもりでいた。

さて,

4人の王 対 同盟5人の王の戦い

ノアに呪われたハムの息子カナンの領土は 12年間 エラムの王ケドルラオメルに支配されていた事がわかった。それはどのような経緯でそうなったのか 創世記のここには記されていない。

そして13年目 思い切って支配者に反旗を翻した。

14年目 エラムの王ケドルラオメルの友人であり味方の王ら3人がやってきて 計4人の王の兵士らが 撃ち・進み・転進・また撃った。

そこで ソドム・ゴモラ・アドマ・ツェボイム・ツォアルの5人の王は兵を繰り出し シディムの谷で同盟を結び陣をしいた。

ソドムとゴモラの王は逃げる時穴に落ち,全ての財産を奪われた。

エジプトから帰ったアブラムの甥ロトが選んだ住みか ソドムはこうして奪われた。

ロト自身も 蓄えた大いなる財産もろとも連れ去られてしまった。

12年間 5人の王たちとその領土を支配していたエラム王ケドルラオメルが どういう人物だったか どのように力を奮って支配していたのか 詳しい事はここに記されてはいない。

ただ 反乱を 友人の王らとともに 反乱軍より少ない兵で抑え込んだ事と

ノアの子孫でもあり ハムと息子のカナンの子孫の領土 ソドム ゴモラの王は穴に落ち 全ての財産は奪われた

そしてロトは 財産もろとも連れ去られた。

たずね求めない王たちに

神は沈黙していたのですね

そして

邪悪で

主に対し多くの罪を重ねていた領土・民の王たちは,

かつて全地に散らされた移住者らが持っていた技術 アスファルトの穴に消えた

ロトとの別れⅱ

霊操22日目

父と子と聖霊の御名によりて アーメン

ロトが目をあげて眺めると,ヨルダン川流域の低地一帯は,主がソドムとゴモラを滅ぼす前であったので,ツォアルに至るまで,主の園のように,エジプトの国のように,見渡すかぎりよく潤っていた。

ロトはヨルダン川流域の低地帯一帯を選んで,東へ移って行った。こうして彼らは,左右に別れた。

アブラムはカナン地方に住み,ロトは低地の町々に住んだが,彼はソドムまで天幕を移した。ソドムの住民は邪悪で,主に対して多くの罪を犯していた。

主は,ロトが別れて行ったのち,アブラムに言われた。

「さあ,目をあげて,あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。見える限りの土地を全て,私は永久にあなたとあなたの子孫に与える。あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。大地の砂粒が数えきれないように,あなたの子孫も数えきれないあであろう。さあ,この土地を縦横に歩き回るがよい。私はそれをあなたに与えるから」

アブラムは天幕を移し ヘブロンにあるマムレの樫の木のところに来て住み そこに主の祭壇を築いた。

ー黙想ー

父ノアに呪われたハムとその息子カナンについて。

ノア→ハム→カナン→長男シドン・ヘト、エブス人、アモリ人、ヒビ人、アルキ人、シニ人、アルワド人、ツェマリ人、ハマト人が生まれた。その後,カナン人の諸氏族が広がった。

その領土は,シドンから南下しゲラルを経てガザまでを含み、さらにソドム、ゴモラ、アドマ、ツェボイムを経てラシャまでを含んだ。

「カナンは呪われよ 奴隷の奴隷となり、兄たちに仕えよ」

「セム(アブラムの先祖)の神 主をたたえよ」

「カナンはセムの奴隷となれ」

ノアはこうしてハムとその息子カナンを呪ったのだけれど、ハムの子孫は大いに増え 町の建設もいたるところに構え 領地は広大となった。

しかしやはり 神に愛された善良なるノアをカンカンに怒らせたハムの息子子孫だった。おそらく 残酷で野蛮で下品だったのかもしれない。

➖ソドムの住民は邪悪で

主に対し多くの罪を犯していた➖

ソドムとゴモラの町は 主によって滅ばされる運命にあった。

風景は美しく 見渡す限りよく潤っていた。

アブラムは,ロトに先に選択をさせた。ロトは、ヨルダン川低地一帯を選んだ。

アブラムは,ヘブロンにあるマムレの樫の木のところに来て住み そこに主のための祭壇を築いた。

アブラムは主のための祭壇を築いた

「見える限りの土地を全て わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える」

ここが 主がアブラムに示した地

約束の地となるのかな

「あなたは生まれ故郷 父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし あなたを祝福し あなたの名を高める 祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて あなたによって祝福に入る」

あれから随分 時が経ったのだろう。

エジプト滞在を経て 戻ってきた。

そして甥のロトに住む場所を選ばせた後,再び 主の声がアブラムに届いた

アーメン アーメン

ロトとの別れ

霊操21日目

父と子と聖霊の御名によりて アーメン

創世記13

アブラムは,妻と共に,すべての持ち物を携えて,エジプトを出て再びネゲブ地方へ上った。

アブラム サライ ロトは,エジプトからネゲブ地方へ向かった

ロトも一緒であった。

アブラムは非常に多くの家畜や金銀を持っていた。

ネゲブ地方から更に,ベテルに向かって旅を続け,ベテルとアイとの間の,以前に天幕を貼った所まで来た。

そこは,彼が最初に祭壇を築いて,主の御名を呼んだ場所であった。

アブラムと共に旅をしていたロトもまた,羊や牛の群れを飼い,たくさんの天幕を持っていた。

その土地は,彼らが一緒に住むには十分ではなかった。

彼らの財産が多すぎたから,一緒に住むことができなかったのである。

アブラムの家畜を飼うものたちと,ロトの家畜を飼うものたちとの間で争いが起きた。

その地方にはカナン人もペリシテ人も住んでいた。

アブラムはロトに言った。「私たちは親類どうしだ。私とあなたの間ではもちろん,お互いの羊飼いの間でも争うのはやめよう。」

「あなたの前にはいくらでも土地があるのだから,ここで別れようではないか。あなたが左に行くなら,わたしは右に行こう。あなたが右に行くなら,わたしは左に行こう」

ー黙想ー

アブラム サラ ロトがエジプトから戻ってきた場所,ベテルとアイの間の場所。

そこにはカナン人やペリシテ人が住んでいた。

カナン人とは、ノアに呪われた息子ハムの子孫。ハムの子孫にはエジプトもいた。そのエジプトに生まれたものの一人がカフトル人。このカフトル人から,ペリシテ人が出た。

黙想は過去に遡って,

ナホルの息子テラが 息子アブラムとその妻のサライ,亡き息子ハランの息子であり孫のロトを連れ,カルディアのウルを出発,カナン地方からハランへ。そしてテラはそのハランで天寿を全うした。

そこで主はアブラムに声をかけた。

「あなたは生まれ故郷父の家を離れ わたしが示す地に行きなさい」

そのことばに従い,アブラム、サライ、ロトは 蓄えた財産をすべて持って,カナンに入った。

「あなたの子孫にこの土地を与える」

主の声に アブラムはそこに祭壇を築いた。

さらに旅を続け,ベテルの山に入り,西にベテル,東にアイを望む所に天幕を張り そこにも主のために祭壇を築いた。

さらに旅を続けネゲブ地方へ入ったが,飢饉のため,エジプトへ下った。

お気づきでしょうか。

この三人は,エジプトを出て来た道とまったく同じ道程を辿り,ベテルとアイの間,以前天幕を張った 最初に主のための祭壇を築き 主の名を呼んだ場所まで戻った。

もともと,父親テラが受け継いで所持していた財産 そしてハランでともに築いた財産はあったものの,サライがエジプト王に召されたが故に さらにその財産は大いに増えた。

イエスさまがおっしゃった「持っている者はさらに与えられ」

まさに!

王室,皇室に 現代でも入りたがる 入れたがる理由がお分かりでしょう。

本人よりも 家族親族 友人知人 出身校OB 多種多様な人々らが。

名誉はもちろん 縁故をはじめ色々な特典や 恩恵が受けられる。電話一つで 何事も可能になる。

客寄せパンダにもなる(表現ね)

例えば 〇〇様御用達の 〇〇さまご出身の ご卒業の となると ね。

捜査権も及ばない。勝手に介入できない。皇族の方々はもちろん 宮家 その親しい人たち 婚約者の家族親族・・・例えどれだけ疑惑のデパートでも。

アメリカは そうした王侯貴族や財産家らの犯罪 不正 不平等に対し立ち上がって建国された国家だ。

今は知らんけど。

建国後 しばらくしたその後

ヨーロッパで革命が吹き荒れ そこからたくさんの金銀財宝を携え流れて来た貴族ら。

ヨーロッパを破壊した者たちが消えてから戻った者たちもいれば,アメリカにとどまった人々もいる。

さらに カトリック教会の横暴・独善・腐敗をゆるさないとプロテスタントが生まれた。

今は 共通善に対しては手をとりあう兄弟姉妹だ。違いを見たらキリがないからね。どっちが正しいだの 本物だの 大勢の彷徨う人々にとってはそんなの。

世界市場に打って出たい企業にとっては 特に 王族 貴族 ご皇室に 身内やお友達がいたら そこで迅速に 安全に商売をはじめられるのだ。大概 評判を広められ 護られる。

芸術家やデザイナー 中にはスターなどは パトロンがいなければなかなか芽は出ない。仕事がもらえない。

着る物などは予算を決めて,入札でもしてほしいくらいですわね。取引業者やデザイナーは。きりがありませんもの。

となるとまた,色々とね。

ライバルが多い世界よね。

そして 下が育たない。

さてさて,アブラム サライ ロトは,エジプトでさらに増やした財産とともに元きた場所に戻ったはいいけれど,その持ち物同士の諍いが起きるようになった。昔は 男女の奴隷も、持ち物と呼ばれ 家畜扱いだった。今でも そうした思想の雇用主はいますでしょ?

そしてご皇室にもあるでしょ?

持ち物財産・労働者同士の諍いが。

そして,国民に互いの悪口を流し合う 貶め合う。

さらにそこに 皇族復帰したい人々だの つながる恵みを持ちたい人々が口を出す 大騒ぎする。

多分 こうしたことははるか昔 お殿様の時代からあった。

江戸時代 明治 昭和 平成 令和,どの時代にも 広報やさんはいた。

お金を払ってしゃべらせる 書かせる者もいれば,お金を払って情報を仕入れ広める 書く者もいた。

安全に情報を入手し なんでもしゃべる 広める事のできる立場の者と 危険にさらされ 投獄 処罰 殺される者もいた。

なんでも責められる者もいれば、全くお咎めなし おかしな言をしても責められない 何一つ聴かれない 問い詰められない者もいた。

いつの時代もそう。

広報合戦の中で 消耗され消費され,病み,朽ち果ててしまう女性たち。

幕府と縁を結んだ島津家は令和の現代でも栄えているし,日清もそう。

政治家同士もそうでしょ。

それだけ 縁談・婚姻とは 一族の命運に関わることなのだ。

だから権力争いが生じる。

さて,持ち物たちが争いを始めたからには,アブラムは 甥ロトと別れる事にした。

賢明な判断。

それを決めたのが,偶然にも,主のために最初に祭壇を築き,はじめて主の名を呼んだ場所であった。

これを不思議という

離縁について

父と子と聖霊の御名によりて アーメン

マルコによる福音10章

イエスはそこを立ち去って ユダヤ地方とヨルダン川の向こう側に行かれた。

群衆がまた集まってきたので イエスは再びいつものように教えておられた。

ファリサイ派の人々が近寄って「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と尋ねた。

イエスを試そうとしたのである。

イエスは「モーセはあなたたちに何と命じたか」と問い返された。

彼らは「モーセは、離縁状を書いて離縁する事を許しました」と言った。

イエスは言われた。

「あなたたちの心が頑固なので,このような掟をモーセは書いたのだ。しかし,天地創造の初めから,神は人を男と女にお造りになった。それゆえ、人は父母と離れてその妻と結ばれ 二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。従って,神が結び合わせて下さったものを 人は離してはならない」

家に戻ってから 弟子たちがまたこのことについて尋ねた。

イエスは言われた。

「妻を離縁して他の女を妻にするものは,妻に対して姦通の罪を犯す事になる。夫を離縁して他の男を夫にする者も,姦通の罪を犯すことになる」

ー黙想ー

そこを立ち去っての そことは,カファルナウムで「一番偉い者」について教え,逆らわない者は味方である事を教え 罪の誘惑を避けなさいと命じた、そこ です。

カファルナウム
カファルナウム

ユダヤ地方とヨルダン川の向こう側に行かれたイエスのところに 群衆が集まってきたので 再びいつものように教え始めた。

そこにファリサイ派の学者がわざわざしゃしゃり出てきた。普段は派の人たち以外とは口も聞かない 近づかない そういう人々。

黙っていられなかったのね。

「モーセは離婚してもいいと許しました」とイエスを試した。

ユダヤの社会,とりわけ彼ら学者にとって 今は亡き歴史上の人物,神と親しく交わり愛されこの地に導いたイスラエルの先祖モーセは絶対の存在であった。

当時、女性は男に離縁されるとどうなったか。寡婦(死別もしくは離婚した独り身,もしくはシングルマザー)として生きるには 今よりもっと過酷な時代。

小金持ち男はいつの時代も,別の女性,若い女を好む者たちが一定数いる。

そして離縁された女性が,

ひとり親で子どもを養育するのは 本当に厳しい。離縁の場合は,男性に子どもをひき取られるのかな?あそこの社会は。

何より 離縁された女が 自分一人の食いぶちさえ得られるか。

再婚でもするか,

または,

当時はすでに売春宿もあったから,そうでもしないと生活できない女性たちもいただろう。しかし 彼女らは散々働かされた後 律法の掟を破った汚れた売春婦として石打ちにされ殺される運命。

男たちに そうさせられるのだ。

イエスは,離縁された女性たちの受ける嘲笑も蔑みも 不運も 行く末もよくご存知であった。

そこでイエスは

あえて学者に,

天地創造のはじめの神を思い出させた。

「あなたがたが頑なにそれをのぞんだから」仕方なく 認めたのだよ と。

「離婚を認めろ」運動でもあったのかもしれないね。認めてくれないなら,自分たちは違反者となり,堂々と姦通の罪を犯すことができませんでしょ?

現代のDVとか,カルトの介入,やむにやまれぬ事情,居住環境,子どものいじめを訴えたことで学校や自治体に 精神や肉体,家庭を壊される,子どもの病気・障害・死などによるストレスや精神的苦痛,女性の自立,底辺なのに浮気やギャンブル 借金をする馬鹿旦那 ママ社会のイジメやストレス,少子化や性病蔓延で,女性を調達できない者たちが 目をつけた人妻を離婚させる 子どもらを誘拐する 人身売買 臓器売買などとはまた違った社会事情でしたが。

やはりある程度のスキルや収入を得られない女性は,いつの時代も大変なことに変わりはない。

いくら福祉や手当てが充実していると見えても、それは平成前半まで。今の役所は本当に冷たいそうだ。あの当時のユダヤ社会に戻ったような社会かな。

そんな中イエスはあえて 離縁しないよう 男である学者に言った。せっかくわざわざしゃしゃり出て 群衆の前ではっきり答えを求めたのだから。

そして 弟子らにも念をおした。当時 ペトロをはじめ 妻のいる弟子たちもいたから 自分の欲情のために女を離縁してすててはいけないよ と 教えた。

危険にさらすことになる。

それはひとりの女性の死を意味するから。

と 私の黙想はここまで。

あなたはどんな黙想をしましたか?

どんな映像をみてどんな思いが浮かび どんな声が心に聞こえましたか?

ヘブライ人への手紙3章

父と子と聖霊の御名によりて アーメン

年間27主日B年

救いの創始者

死の恐怖のために 一生涯奴隷の状態にあった者たちを解放なさるためでした

確かにイエスは 天使たちを助けず,アブラハムの子孫を助けられるのです。

それでイエスは,神の御前において憐れみ深い 忠実な大祭司となって 民の罪を償うために 全ての点で兄弟たちと同じにならねばならなかったのです

事実ご自身 試練を受けて苦しまれたからこそ 試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです

ー黙想ー

聖パウロの手紙は パウロがつくった教会や訪問する予定の教会に宛てた手紙だけれど,実際,パウロがどこでしたためたのか,直筆なのか口述筆記なのか 教会の誰あてなのかはわからない。

驚きなのは この時代すでに郵便というものがあったこと。日本にも確かに 伝令というものはあったけれど、距離がかなり違いますし 国をまたいでいますから やはり島国とはちょっと違う。

この ヘブライ人への手紙に書かれているのは,キリストは,旧約聖書の預言者・大天使ら・モーセに勝る存在である事が繰り返し強調されている。

旧約聖書の時代が,人類の幼児期 少年期であれば,神の躾 教育の時代だったのかもしれない。さまざまな掟や罰があった。そうして秩序だてていった。

けれども 上の者たちに都合の良い掟と成り下がり,多くの人々を苦しめるものに利用されるようになった。

そして青年イエスが直接,地上をただし,癒し,救いの業をはじめる事となる。それまでイエスは 父親ヨゼフのもとで大工の仕事を手伝っていた。

神の子として 直接地上で,神の心を行って見せるために 乙女マリアから生まれたイエス。

しかも旅の途中の粗末な馬小屋で。

どこの宿屋もいっぱいで 生まれる場所さえなかった。女将が「可哀想に」と,若きヨゼフ,妊婦のマリアを見て憐れむ心のない人間だったら 地上に救いは来なかった。

それが新約の時代。

神との新しい契約。

そして今まだ 人類はその途上にある。

だって難しいでしょ?

罪人を赦すなんて

特に 自分に損害を与えた人たちをゆるすなんて。

誰だってそうだよ。

ゆるさない 愛さないならミサには参加できませんよ〜教会にきちゃダメよ〜 なら 誰もいけないじゃん?

だからこそ,人をゆるす恵みを求める

いつかそうなれますように と 願う。互いに励ます。

そしてあなた自身もゆるされるようにと。

「私には罪がない」

という者は偽り者です。

社会生活を送り 多種多様な人々と交わるなら 必ずと言っていいほど 失敗もすれば 人を嫌ったり よくない事もするのが人間。思い 言葉 行い 怠り 何かしら必ず罪を犯すもの。

あなたもそうでしょ?

人間は神様ではないのだから。

ところでフランスの教会は 聖職者等による性犯罪の事でもちきりのようだ。

どんなにつらかったろう、被害に遭った子たちもその家族も。

赦しを乞う

冤罪でないのなら

新たに生まれるために

事実であれば,

それは 筆舌に尽くしがたい苦しみを

多くの人に与えてしまったのだから

助ける者

父と子と聖霊の御名によりて アーメン

年間27B年 創世記

主なる神は言われた

「人が独りでいるのは良くない 彼に合う助ける者を造ろう」

主なる神は 野のあらゆる獣,空のあらゆる鳥を土で形作り,人のところへ持ってきて,人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。

人が呼ぶと,それはすべて,生き物の名となった。

人はあらゆる家畜,空の鳥,野のあらゆる獣に名をつけたが,自分に合う助ける者は見つけることができなかった。

主なる神はそこで,人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと,あばら骨の一部を抜き取り,その跡を肉でふさがれた。

そして,人から抜きとったあばら骨で女をつくりあげられた。

主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると,人は言った

「ついに,これこそ わたしの骨の骨 わたしの肉の肉 これをこそ,女(イシャー)と呼ぼう まさに 男(イシューから取られたものだから)」

こういうわけで 男は父母を離れて女と結ばれ 二人は一体となる

人と妻は二人とも裸であったが 恥ずかしがりはしなかった

ー黙想ー

先日霊操した創世記が、今日の年間か。昔は年間bookも毎年用意してたけど,今はいつどこなのかわからない。それもまた 楽しみ。

今日の神父さまのお話で印象的なのは,月にしろ星にしろ「あれ」と、一言言って造った。

だけど生き物に関しては 土で形をつくった。

これは表現ね。

直接 ご自分の手を加えてつくった。

土は 手が汚れるよね

手間暇かけてつくった

こと 人間に関しては 息までふきかけた ご自分にかたどって ご自分に似せてお造りになった。

そして 彼のためにさまざまな動物を用意したのだけれど,彼を助ける者にはいたらなかった。

「人が独りでいるのはよくない」

うん 在宅勤務,コロナ在宅療養で 独りにされる人も される事も増えたね。

お母さんが忙しくて 子どもが独り または幼い子ども同士で留守番も増えた

そして 9歳以下の国内の子どもの行方不明数 年間900人以上,しかもどんどん増えている。

小中学生の自殺,昨年だけでも479人。これも増加している。

大人たち 上にいる者たちが 本気でそれを食い止めようとしない むしろ推し進めている。

ー人が独りでいるのはよくないー

この神の言葉を無視して いじめや暴力で 人を 子どもを 孤立させる者たちが権力を奮っている

国家でも学校でも地域社会でも。

ー死の世界ー

神は 男の身体の一部をとって女をつくった。

男は父母と離れ

女と結ばれ

二人は一体となる

これが 神がはじめに創った世界

それがうまくいかなくなったのは

人間が地上で頑なになったから

それすなわち

悪魔の働きによるもの

なのだけれど,気がつかず,神を否定する。

神がそんな人間に合わせてくれるようになった。

神の受容 妥協というべきかな。

愛ゆえに。

それほど 人間を愛しみ 憐れみ 大切に思ってる

キリストが出現して 地上の人々に救いがもたらされた。

人間の権力ある者たちが都合よく使い出した,掟。傲慢とも言える掟。

残酷になった掟は破り捨てられ 新たな契約が結ばれた。

それは 人を縛り殺すものではなく 完全なる自由と 生命を与えるもの。

「神があなたを そうお造りになった」

フランチェスコ教皇さまにそう言わしめ,さらに離婚も赦されるようになった。

科学や医学の進歩もあり 環境 脳 生態系 ホルモン 薬物 依存症 ストレス さまざまな研究がなされ 何もかも変わっているのだ。娯楽にしろ産業にしろ 人間をとりまく環境 誘惑も 抗しきれないものが増えた。病む人々も。

抗しきれる どんな時もいついかなる時も聖人でいられると 人に掟を強要するのは,人を苦しめるだけの者 人間が神になれるという傲慢さからくるもの。

神がはじめに人間をお造りになった時と今は 地球そのものが違っている。

そして自殺さえ 以前は大罪と言われ 死者のミサ,埋蔵さえ拒まれた時代があったけれど,今は違う。

そこにいたるまでの 癒せない深い傷があるのだ。

苦しみ 傷つけられた人々の傷を癒したのがイエスさま。

その弟子たちが,

悩み傷ついた人々の傷をさらに深めるような事を いつまでもさせておくはずもなく、

愛である神が 頑な人々を動かした。

「わたしは人を赦せません ごめんなさい」「わたしは努力したけれど 離婚します ごめんなさい」「わたしは同性しか好きになれません」

そうして赦しの秘蹟を受けたらいい。

何も声高らかに「認めろ」と迫ることはない。こうしたことは ひっそり 静かに 赦しの秘蹟を受ければいい。

ミサに行けない なんて思う事はない

もしその扉を閉ざす人がいたなら

その人こそ 人を躓かせる者なのだ

まぁ 我が家は自らすすんで

行かない選択をしていますけどね

我が子が 信仰を取り戻すまでは