神の祝福

霊操 10日目

敬老の日

父と子と聖霊の御名によりて アーメン

創世記 9-1

祝福と契約

神は ノアと彼の息子たちを祝福して言われた

「産めよ 増えよ 地に満ちよ」

「すべての獣 空のすべての鳥は,地を這うすべてのもの 海のすべての魚とともに」

あなたたちの前に恐れおののき

あなたたちの手にゆだねられる

すべてあなたたちの食糧にするがよい

わたしは これらすべてのものを

青草と同じようにあなたがたに与える

ただし

「肉は命である血を含んだまま食べてはならない」(これは今でもかたく守っている人々がいます)

「あなたたちの命である血が流された場合,わたしは賠償を要求する」

獣からも 人間からも

神が賠償を要求する

「人の血を流す者は 人によって自分の血を流される」

人は神にかたどって造られたからだ

「あなたたちは産めよ 増えよ」

「地に群がり 地に増えよ」

神は,ノアと彼の息子たちに言われた

「わたしは あなたたちと,後につづく子孫と契約をたてる」

「地のすべての獣と契約を立てる」

「わたしがあなたたちと契約をたてたなら 二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく 洪水が起こって 地を滅ぼすことも決してない」

「わたしは雲の中にわたしの虹を置く」

「わたしが地の上に雲を湧き起こらせ 雲の中に虹があらわれると わたしは わたしとあなたたち 並びにすべての生き物 すべて肉なるものの間に立てた契約に心を留める」

「虹は わたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる」

「雲の中に虹があらわれると 神と地上のすべての生き物 すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約を心にとめる」

「これが,わたしと地上のすべて肉なるものとの間に立てた契約のしるしである」

ー黙想ー

いよいよノアらは,箱舟から大地で暮らす事となる。

その前に 神は祝福をお与えになった

そして 人との契約を交わす

「水が洪水となって,肉なるものを全て滅ぼすことは決してない」

神は 人の血を好まれない

人が大地に血を流すことをよしとしない

賠償とは それを防ぐためのものだ

神は 人間や生き物が大地に増え 活き活き生きることを望む

血を流すことをよしとしない

雲の中に虹が現れた時

神は人との契約を思い出す

我が子が幼かった頃 止まないいじめに病み 転校を余儀なくされた。

そして 耳鼻科・眼科・小児科・児童精神科・学校が近くにある物件を探した。

転校先の面談の帰り 駅に降り立ち 足早に家に向かう途中 足が止まった。窓をふりかえってみた。何故かはわからない。

広がる海の中から 虹が空に一直線にのびていた。

普通なら 何か嬉しい 明るい気持ちになっただろう。その時のわたしは,暗い気持ちのままだった。例え神の励ましだろうと 慰めにはならなかった。

何度も何度も新幹線代をかけて現地に呼ばれる。不動産との契約にしろ検査・通院にしろ,いじめを受け 心に傷を受け 登校の機会を奪われた側が 通院費用も引っ越しも 何もかも大金を搾取される。

貯金を搾りとり すっからかんにし,塾も習い事もさせない 家に閉じ込め さらに弁護士を雇えない 将来を閉ざしてしまいたいのかもしれないね。

彼らにとっては大切な 性悪で残酷ないじめっ子らの未来のために。

そして 不登校ビジネス。子なしが 蛇のような抜け目のない連中に教育任せっぱなし放置してるからこうなる。今はもっと酷い。自殺 離婚 鬱病の件数も増えた。北海道旭川市では 恐ろしい事件も起きた。

いじめを受け 心身を壊し 登校の機会を奪われた家庭が さらに苦しめられ 内申書のために毎月何万円もかけて 学校出席しましたパスポートを手に入れないといけない。進学にしろ 専門学校に行くにしろ。

馬鹿馬鹿しい 幼稚なカルトの国。教育なんて とっくに放棄した国。

昔 日本人の発達障害、精神遅滞の数値をテスト検査したら ほとんどの児童生徒がそれに満たなかった。そのために 数値の基準をさらに低くしたそうだ。

5体満足で元気はつらつでも,その数値に満たない子たちには 手をかけてあげなきゃならないのに 現場は手が回らない。

まぁいい,話を戻そう。

そして数年,転校した先の町で,伯母が老衰で亡くなった知らせが入った。我が子をとても可愛がってくれた人、いや わたしのことも 誰のことも。

伯母は若い頃 入院中の薬の投与で 耳が聞こえなくなった。看護師に,ちょっと強い薬なので何かあったら呼ぶように言われていた。少しして 片方の耳が張り裂けるような痛みに襲われて 呼んだ時はもうすでに聴力はなくなっていた。

結婚後のことだけど,不便だったろう。年取れば誰でも多少耳は不自由になるものだけれど、若いうちは人と関わることも多いから それは大変だったろうね。

知らせを聞いて,我が子とタクシーで駅に向かう途中,「ママ!みて 虹‼︎」

その声にタクシーの窓から空を見ると 大きな虹が広がっていた。

天国にいったんだな と 思った。

何故か,

怒りに満ちている時 悲しい時に限って虹をみた

雨上がりでもない日に

創世記 ノア

父と子と聖霊の御名によりて アーメン

霊操 9日目

創世記 8章

神は地の上に風を吹かせた

深淵の源と天の窓が閉じられた

雨はやみ 地上から水がひいた

105日後 水は減った

第七の月17日 箱舟はアララト山の上に止まる。水はさらに減る

第十の月1日 山々の頂が現れる

40日後 ノアは烏を放す

烏は窓を出たり入ったりした

鳩を放す 

鳩は止まるところが見つからず 箱舟に戻ってきた

水がまだ全治を覆っていた

7日後 再び鳩を放つ

夕方、くちばしにオリーブの葉を加えていた🫒🍃

水が地上から引いたことを知る

7日後、鳩を放した。そのまま 戻ってこなかった。

ノア601年

最初の月1日 地上の水は乾いた。

第ニの月27日 地はすっかり乾いた

神はノアに仰せになった

「・・・地に群がり、地上で子を産み、増えるようにしなさい」

ノアは主のための祭壇を築き 献げものを捧げた

主は宥めの香りをかぎ言われた

「人に対して大地を呪うことは二度とすまい」

「人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ」

「わたしはこの度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい」

「地の続く限り」

「種まきも刈り入れも 暑さの時も 夏も 冬も 昼も 夜も やむことはない」

ー黙想ー

つまり 主はこのようなことは二度としないと遠いとっくの昔

すでに宣言されていた

一度宣言された御ことばは 二度と翻ることはない

この世の不幸を神のせいにすることはできない という事

創世記 洪水

父と子と聖霊の御名によりて アーメン

霊操 8日目

主は 地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのをご覧になって、地上に人をつくったことを後悔した

そんな中でも、ノアには好意を持った

アダム130の時、彼は自分に似た 自分に型どった男子をもうけ セトと名付けた。ノアはその子孫にあたる。

777年生きたレメクの子が ノアである。このレメクの父親は、メトシェラ。カインの子孫であり 自分にアダムより10倍の値をつけたレメクの父親の名はメトシャエル。

メトシェラとメトシャエルが同一人物で、レメクもまた同一人物なのかは 聖書研究家や神学の専門家に聞かないとわからない。

もし 同一人物であるなら、ノアの父親の世代に地上に悪と不正がはびこり 増殖し 罪が10倍にも満ちた という事かな。

しかし子のノアは 好ましい子であった。

わからないね、ノアが生まれた経緯と父親 先祖に関しては 神学に触れる事だわ。

まるで本家と分家みたいなもので。先祖 親戚 村内 部落内 国内 同じ名前なんてたくさんいたし。

創世記6章-9 これはノアの「物語」である。聖書で わざわざ「物語」と記してある事を忘れないでください。

この美しい物語は、カルトなどに利用されやすい。

神は善を好み、不正や悪を忌み嫌う、地上に悪が満ちると神は黙っていない という啓発になるならまだいいのだけれど、恐怖で人を集め、金を集め人々を支配してはいけない。さらに、科学技術や兵器などを利用してもいけない。どこのどんな国でも組織でも団体でも。

神も信仰も そうした人工的なものを全く必要としないからだ。

例えば 信者が減るのも 増えるのも すべて神の御心 御計画の中にある。

ある時 ある時代は ある理由から 信者が減少し維持していくのが大変困難になる。

けれど 善・良心 神の光が消滅することは決してない。

もともと 小さな群れだったのだし。

もともと 今にも消えそうなかすかな しかし強烈な光だった。

そこに戻るだけなのだ。

ある時は栄える。それはそれでいい。

さて、

ノアには三人の息子が生まれた。

当時地上は 堕落し 不法に満ちていた。

ある日、神はノアに言われた。

「すべて肉なるものを終わらせる時がわたしの前に来ている 彼らのゆえに不法が地に満ちている 見よ、わたしは地もろとも彼らを滅ぼす」

「見よ わたしは地上に洪水をもたらし 命の霊をもつすべての肉なるものを天の下から滅ぼす 地上のものはすべて息絶える」

読者は、これは「物語」と記されている事を忘れない事。特に 自然災害の多い地形にある日本人は ここを利用したカルトに騙されやすい。そして実際 現代の科学の力は 自然災害のようなものをもたらす兵器をつくれる。頭のおかしい教祖のカルト 政府が富を得たらどうなるか。これはキリスト教と限らない。 

だから 兵器庫を見せなさい という。隠すな という。

自分自身が神となり 人々を奴隷にし 自分自身を肥やす

それはいけませんよ という事

悪事に 殺人に 自分自身を肥やすために 神の霊である聖書を利用してはいけない という事

さて 物語に戻ろう

主である神は ノアと契約をたてた。そしてノアとその家族が生き延びるように さまざまな指示を出した。

ノアは すべて神が命じられたとおりに果たした。

霊操は、自身の罪の糾明が必要なのだけれど それはじっくり行いましょう。そして 秘蹟にあずかる。

2021年現在、なかなかね 殺人コロナウィルスのせいで、ミサさえままなりませんけどね。

コロナは 人々が神に近づくこと 改心回心することを妨害する。

すなわちこれすべて悪の働き。

カインとアベルについて、昨日まで黙想したと思いますが、単純率直に言えば、神は小さいものを優先する という事。これは地上にあるものたちとは真逆になるのだけれど、兄のカインよりアベルに目をかけたのは それ。

だからといって カインを愛していなかったのか。

いやいや わざわざ印までつけ 安心させ 励まし 妻や子孫まで与えたのを見たら わかるね

いつかご自分のもとに帰って来るのを待ってるんだよ 平和な園に住むのにふさわしい霊魂となるのを

それまでは 地上でさすらう者のまま

カインの追放

父と子と聖霊の御名によって アーメン

4章 カインとアベル

カインは主の前を去り、エデンの東のノド(さすらい)の地に住んだ。

カインは妻を知り、エノクをもうけた。アダムが自分に似せ、自分にかたどった男子の子孫であるイエレドの息子エノクとは別人。

あの系譜が 栄えた時代の町名とか国名とか年号でないのだとしたら。

カインは町を建て 息子にちなんで「エノク」と名付けた。

【エノク】息子【イラド】息子【メフャエル】息子【メトシャエル】息子【レメク】

レメクの一人目の妻アダ

息子【ヤバル】家畜を飼い天幕に住む者の先祖となる

ヤバルの弟【ユバル】竪琴・笛を奏でる者全ての先祖となる

レメクの二人目の妻ツィラ

息子【トバル・カイン】青銅や鉄で さまざまな道具をつくる者

娘(トバル・カインの妹)ナアマ

弟の血を流し 主から離れたカインの子孫であるこのレメクは、妻らに言った

「わたしは傷の報いに男を殺し 打傷の報いに若者を殺す」

「(先祖である)カインのための復讐が7倍なら レメク(自分)のためには77倍」

どうだろう この傲慢さ。

この 「カインのための復讐」というのは、弟を殺して尚、主の土地から追放されたら自分は殺されてしまうと 我が身を案じる情けないカインを励ますために、「いや それゆえカインを殺す者は誰であれ7倍の復讐を受けるであろう」と 主が印をつけた時の言葉。

それを子孫であるこのレメクは、さらに自分自身に10倍の値ををつけたのだ。

さて、

昨日黙想した 兄カインについて。

自分の捧げものには目もくれず、まっ先に弟の捧げものを見て喜ばれた主に対するカインの態度。

もし彼が、「主よ!弟の捧げものにだけ喜んでないで、わたしの捧げものも見てよ!」

と、顔を真っ直ぐ向けて、天真爛漫に言える人間だったならどうなっていたかな?それほど親しく思って 親しく交れたなら。

何一つ不正をしていなかったら できたのかな?

もし あなたがカインの立場なら、どういう態度をとったと思う?

わたし?

そうだな・・・

その時になってみないとわからない

話は変わるのだけれど、最近 陰謀論って言葉をよく見かけない?

例えば読書の傾向として、

陰謀論を言う人は、作者が書いた文章から意図する何かがないか 隠されたものはないかさがそうとする。

古くからの正しい宗教家は、作者が全く意図せず書いた文章に 神からのメッセージはないかを探す。そしてそれを軽々しく独断で決めつけるようなことはしない。

言葉や行いの正しい、よく祈る評判の良い人、そのような賜物を授かった数人 もしくは秘蹟を受けた人々によって 識別をする。

それは本当に神からのメッセージなのか?

必ず 祈りではじめ 祈りで終わる 識別をする

悪魔からのメッセージかもしれないのだから。

そうしてそれは 時代がどんなに移り変わろうとも 脈々と受け継がれてきた、はず。

陰謀論と真実の違い

なんということをしたのか

主はカインに言われた

「お前の弟アベルは、どこにいるのか」

カインは答えた

「知りません」

「わたしは弟の番人でしょうか」

主は言われた

「なんということをしたのか お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる」

「今 お前は呪われる者となった」

蛇と同じ者

「お前が流した弟の血を、口を開けて飲み込んだ土よりもなお お前は呪われる」

「土を耕しても、土はもはやお前のために作物を産み出すことはない」

「お前は地上をさまよい、さすらう者となる」

神に対し顔を伏せたカインは、戸口で待ち伏せした罪に捕らえられてしまった。

神と弟アベルの前で顔を伏せたままだった兄カインの気持ち ちょっと 目をつぶってしばらく想像してみて。

カインがそれまでどんなお兄さんだったか 聖書には記されていない。

弟アベルに対し意地悪だったのか 暴力を奮っていたのか 悪戯して困らせていたのか アダムやエバ 大人の前でだけ優しく振る舞っていたのか、

それとも 実はいつも優しい兄だったのだろうか。

神さまはみんな知ってるね

たぶんカインに問う前から、カインが弟アベルを襲って殺したことも

さて たいていのお兄ちゃんはどうかな

今度は 世のお兄ちゃんお姉ちゃんの事を思い浮かべてみる

・生まれてすぐ弟が生まれた 特に母親は赤ん坊の弟にかかりっきりだ ほんの少し前は 両親の笑顔も喜びも瞳もその全てが自分にだけに向けられていたのに 

そしてそれさえない子もいる

親が世のわずらいごとに心も身体もいっぱいなら

以前一人だった時は 呼べばすぐ駆けつけ すぐたすけ すぐ慰め すぐほめてくれた父親も母親もいない

いや はじめから 呼んでも来てもらえず 泣いても何もしてもらえない子らもある

・少し大きくなると 毎日弟の世話を手伝い 教えるように言いつけられ どこにでも一緒 

中には、どうにか工面して 二人だけの時間をつくって いっぱい遊んだり甘えたり笑ったり そんな時がもらえる子らもいる

・もう少し成長すると 弟の方が優れていることが増えたりもする

もともとは一人っ子のように過ごした兄、産まれたはじめから兄が存在している弟

同じ家族 同じ子どもでも 違う

兄カインは、感情を支配することができず 弟アベルを襲って殺してしまった。

たかが供物ごときで

エデンの園の外で無事に生きていくということは 神の愛を信じること、罪を退けることが どうしても必要だったのだけれど、この兄にには通じなかった。

確かにね、来る日も来る日も黙々と土を耕して 雨の日も 風の日も 日照りの時も 大事に育て実りを獲るのは 本当に大変な事だ。話す相手もなく 黙々と。

そうしてやーっと収穫した実りには目を留めず 弟の最上の羊の初子に先に目を留められた。

それは何故なんだろう・・・

日頃の行いが悪かったのか

土を耕し 種を蒔き 農作物を育てる時の心がよくなかったのか

日頃の言葉や行いがよくなかったのか

弟のアベルのように、最上のものではなく 2番目3番目くらいのものを捧げ物にしたのかな?

そして 弟にもそうするように唆していたかな?

そしたら弟アベルは困っただろうね。

どうかな、わからないね 神さまじゃなきゃ

そしてもし、カインが怒らなかったらどうだろう

自分が受けた仕打ちをものともせず ニコニコ笑い 目を留めてもらえた弟アベルに対しむしろ喜べる兄だったら。

なんなら 弟の育てた立派な羊に驚いて褒めていたら。

それができなかったのがカインだった

まだまだ 長旅になりそうだね

カインの、命にいたる道のりは厳しそう

さて、アダムとエバの長子であるこのカインには まだまだ手がかかると知った神は カインにしるしをつけた

何故なら、ここまできて尚この兄は、自分の命の事を心配しているのだ

励まし 勇気づける必要があったのね

ヤレヤレ

このようにして、カインの子孫に繋がっていく

カインの子孫、それはまた明日

さて、

アダムの系図➖没930年

【アダム】130年目、アダムは自分に似せて 自分にかたどった息子セトをもうける。その後 息子や娘をもうける。セト誕生から800年後没 930年

【セト】105年、エノシュ誕生 その後息子娘をもうける エノシュ誕生から807年後没 912年

【エノシュ】90年目、ケナン誕生 その後息子娘をもうける ケナン誕生後815年後没 905年

【ケナン】70年目 マハラルエル誕生 その後娘息子をもうける マハラルエル誕生後840年後没 910年

【マハラエル】65年目、イエレド誕生 息子や娘をもうける イエレド誕生後830年後没 895年

【イエレド】162年目、エノク誕生 その後娘や息子をもうける エノク誕生800年後没

【エノク】65年目、メトシェラ誕生 その後息子娘をもうける エノク365年没

【エノクは神とともに歩んだので 神にとられ天に召す】

【メトシェラ】187年目、レメク誕生 その後息子娘をもうける レメク誕生後782年後没 969年

【レメク】182年目、ノア誕生

ノア(慰め)の名前の由来「主の呪いを受けた大地で働く我々の手の苦労を この子は慰めてくれるであろう」

ノア誕生後595年後没 777年

ノア500年目、セム ハム ヤファト誕生

見事に男系男子

霊操5日目の黙想でした

カインとアベル

4日目 4章 カインとアベル

父と子と聖霊の御名によりて アーメン

ー黙想ー

アダムは妻エバを知った

彼女は身ごもってカインを産んだ

「わたしは主によって男児を得た」

彼女はまたその弟アベルを産んだ

兄のカインは土を耕す者となり、弟のアベルは羊を飼う者となった。

時を経て

カインは土の実りを主のもとにお捧げした。アベルは羊の群れの中から肥えた初子をお捧げした。

主は、アベルとその捧げものに目をとめたが カインとその捧げものには目を留められなかった。

カインは激しく怒って

顔を伏せた

主はカインに言われた

「どうして怒るのか」

「どうして顔を伏せるのか」

「もし お前が正しいのなら 顔をあげられるはずではないか」

「(お前が)正しくないなら 罪は戸口で待ち伏せており(罪が)お前を求める」

「お前はそれ(罪)を支配せねばならない」

この意味を カインは理解しただろうか?理解していたなら この後の悲劇は起きなかった。

そして誰も悲しむ事もなく カインは兄らしくふるまう事を覚えた。

褒めて欲しいのに見てもらえない 一生懸命働いた成果を喜んでもらえない 無視される

悔しさを知り 悲しみを知り 理不尽を知る

しかし 神の愛を信じていたらどうだろう・・・気にもとめず 顔をあげていられた はず と 神はおっしゃりたいのかな?

悲しい 悔しい 「神はわたしを愛していない」こみ上げる怒り

弟ばかり・・・

顔を伏せるのは 何故だろう

その怒りに満ちた表情を神に見られたくないためなのかな?恥ずかしいからかな?神を憎んだからかな?

これら罪のもととなる感情を 「あなたは支配しなくてはいけない」と 神はおっしゃった。

両親のアダムとエバと同じく カインは 主なる神の顔を避けた

神は弟アベルよりも先に カインに教育を施したのかもしれないね

傲慢をくじきながら

神の愛を信じられない 激しい怒り 憎しみ 悲しみ 嫉妬 神のためにした事が受け入れてもらえない 喜んでもらえない それらの感情をあなたは支配しなくてはいけない事を

罪は戸口で待ち伏せている

あなたがそれらの感情に支配され 制御不能に陥ってしまわぬように と。

さて カインは理解できただろうか

蛇の誘惑

第三章 蛇の誘惑

主なる神が造られた野の生き物の中で、最も賢いのは蛇であった

賢い・・・利口 賢明 抜け目がない

蛇は女に言った

「決して死ぬことはない それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存知なのだ」

神が食べてはいけない 触れてもいけない つまり近づくことを禁じていた木は

より美味しそうに女の目を惹きつけた。そして、賢くなるように唆していた。

女は蛇の誘惑を断固として退けることもできた。しかし彼女は、その果実をとって食べ、男にも渡した。

たちまち二人の目は開け、自分たちが裸であることを知った。

その日 風の吹くころ、

主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。

アダムと女は、神の顔を避けた

アダムと女は、園の木の間に隠れた

愛する子に そのようにされた時 どんな気持ちになるか

主なる神はアダムを呼ばれた

「どこにいるのか」

アダムは言った

「恐ろしくなり 隠れております」

「わたしは裸ですから」

神は言われた

「お前が裸であることを誰が告げたのか」

「取って食べるなと命じていた木から食べたのか」

アダムは言った

「あなたが」

「わたしとともにいるようにしてくださった女が 木からとって与えたので食べました」

主なる神は女に向かって言った

「何ということをしたのか」

女は答えた

「蛇がだましたので 食べてしまいました」

アダムは自分の罪を 女を連れてきた神のせいにし、そして神を裏切った事をその女のせいにした

女は 自分の罪を蛇のせいにし 自分はだまされた被害者だと言った

主なる神は、蛇に向かって言った

「お前は呪われるものとなった」

饒舌だった蛇はとても賢いので 神の前には沈黙 黙秘した

神は女に向かっていわれた

「お前ははらみの苦しみを大きなものにする お前は苦しんで子を産む お前は男を求め 彼はお前を支配する」

神はアダムに向かって言われた

「お前は(神であるわたしとの約束よりも)女の声に従い とって食べるなと命じた木から食べた」

「お前は生涯食べ物を得ようと苦しむ」

「お前は顔に汗を流してパンを得る 土にかえるときまで。お前がそこからとられた土に(神は土の塵でアダムをつくった)かえるときまで」

「塵にすぎないお前は 塵に返る」

お前は 土と塵でできている 塵にすぎないものだと覚えさせ 念をおす。人が善悪を知り 知恵をつけても 神の前で謙虚であるように。

アダムは女をエバ(命)と名付けた。

彼女が、地上にある命あるものの母となったからである。

主なる神は、アダムと女に 皮の衣を作って着せられた。

主なる神は 今のアダムとエバが 命の木からその実を食べ 園で永遠に生きることをよしとしなかった。

主なる神は、彼をエデンの園から追い出し そこからとられた土を耕させる事にした。

命の木に至る道を守るために、エデンの東にケルビムの見張り、そしてきらめく剣の炎を置かれた。

天国の門であり扉

園に戻れる霊魂は、ケルビムに炎の剣のかんぬきを開けてもらわねば決して入ることはできない

【黙想】

神は 愛する子を園から追い出すとき、土と着る物をお与えになった

園の外で人が生きるために、そのふたつがなくてはならない事、そのふたつがあれば生きていけることを告げている

耕す土 裸を覆う服

さてさて、

黙想は 100人いれば100人違う。そして同じ箇所でも、別の日に朗読 黙想すれば また違う想念や映像が浮かぶ。

聖書は聖霊によって記された書物なので、読むだけでも祈りとなる。神との深い交わりとなる。

もう ボロボロだけれど わたしを離してはくれない。そしてどんな書物よりも楽しい 悲しい 嬉しい。

はち切れそうな怒りの時も鎮めてくれる。

最近は ずーっと 触れてもいなかったんだけどね。

神は「われわれ」とおっしゃるのを不思議思い 昔聞いたことがある。

これは、ギリシャ神話に出てくるたくさんの神々の事なのか 神さまの妻に言っていることなのか。

神父さまは確か「わからない」と答えたと思う。聖書に書かれていないから それは わからない と。そして、善悪の木の実についても どこにも林檎と記されてはいない。

確かにそうだ。

しかし黙想は自由。浮かんできた言葉 映像 思い 全てが自由。

これを勘違いする人たちもいる。識別してもらうことなく 自分の黙想が正しい 預言だなんだと。

教会は それを避けるために 分かち合いという事をする。

それは祈りで始まり 聖書を朗読し 自由に浮かんだ思いを言葉にして分かち合う。脱線しそうな時は 聖職者が戻す。明らかな間違いをそこで気づく事もある。楽しい。

楽しかった。

➖昔の事➖

そういえば、わたしは出産の時 全く苦しまなかった。

何故なら つわりがまったくなかったのと、緊急手術で身体を横たえているだけでよかったから。

主治医・麻酔科・小児科・助産師・看護師の方々は大変よね 感謝してもしきれない。

出産の現場は いつ何が起きるかわからないうえに 24時間体制。産科が減るのもわかるわ。もっと敬意を持つのがいいね。彼らがいないと 人は地上で安全に生まれ 生きる事ができないのだから。

出産が楽だった分 術後の痛みは普通じゃなかった。にも増して、喜びで痛みさえ忘れどうでもよかった。

赤ちゃんって どうしてどの子もこんなに美しいのだろう。赤ちゃん肌とはこういうものか・・・つきたてのお餅のような 絹のような感触とは まさにこれの事か!と納得したものだ。

そして、私の主治医は決して優しい方ではなかったので 退院したら洗濯掃除 なんでもどんどんやった方がいい。病気じゃないから その方が早く快復すると 。

私にこっそり言ってくれたらいいものを 主人の前で主人にも話すものだから 家に帰ってから早速 家事をスタコラしたっけ。痛みこらえてやったなぁ。

後で聞くと 手術で産んだ人たちはたいてい ゆーっくり休んでいたと。

なんだか損した気分だ

安息の日

父と子と聖霊の御名によりて アーメン

2章

第7の日に 神は創造の仕事を完成し 仕事を離れ 安息なさった

この日を祝福し 聖別された

主なる神はまだ地上に雨を送らなかった 土を耕す人もいなかった

水が地下から湧き出でて土の面を覆った

主なる神は土の塵で人を形づくり その鼻に息を吹き入れられた。

人はこうして生きる者となった

主なる神は東方のエデンに園を設け 人をそこに置いた

あらゆる木を地にはえいでさせ、園の中央には

命にいたる木 と、

死をもたらす善悪の知識の木を生えいでさせた

エデンから一つの川が流れ出て園を潤し 4つの川に分かれた

第一の川 ピション川全域は、良質な金・琥珀・ラピスラズリなどを産出した

第二の川 ギボン川

第三の川 チグリス川

第四の川 ユーフラテス川

主なる神は人をエデンの園に住まわせ、そこを耕し、守るようにされた

神さまのご命令

「園の全ての木からとって食べなさい」

ただし

「善悪の知識の木からは決して食べてはならない」

「食べると必ず死んでしまう」

主なる神は

「人が独りでいるのは良くない 彼に合う助ける者を造ろう」

主なる神は 野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり人のところへもっていった

人がそれらをどう呼ぶか見ておられた

人は あらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名をつけた が 自分に合う助ける者を見つける事ができなかった

主なる神はそこで 人を深い眠りに落とされた

主なる神が 男の骨からつくった女を連れてこられると人は言った

「ついにこれこそ わたしの骨の骨 肉の肉」

➖男は父母を離れ 女と結ばれ 一体となる➖

人と妻は裸であったが、恥ずかしがりはしなかった

【黙想】

さて、人は 神さまの唯一のご命令を護ることができるのかな?神さまの子のままであれば、愛と良心に満たされて 必要なものは全て整えられ それに満足して平和に暮らせる

悪い事などする必要もなく もともと悪い事ができない性質の者として造られた

神が人のためにご用意して下さったエデンの園には そもそも 悪など存在しない

食べるなと言った木の実を食べるということは すなわちそれは それ自体 父なる神を裏切る行為であり その事が悪のはじまりとなる

つまり 善と悪が そこに生まれる

先取って「善悪の木」と名づけられた木

➖男は父母と離れ➖

女をつくった時点で 神はすでに知っていた

蛇が現れることも

子が ご自分を裏切ることも

離れる時が来ることも。

そして 神から離れる時、

彼らは一度死なねばならない

エデンにいた頃の人間ではなくなるという事。

神から離れ 園から追放される彼らには 

善と悪を知り 知識というものが必要になると 神は全てを知っておられた

それゆえ

あらかじめ 用意していたのだ

「善と悪と知識の木」を

アダムとエバは 命にいたる木の実ではなく

神(親)の愛 言いつけから離れ 

園の外で生きる道を選んだ

天地創造

父と子と聖霊の御名によって アーメン

1章-1天地の創造

一日目

地では 深淵を闇が覆っている

神の霊が水の表を動いていた

「光あれ」

神の言葉でその通りになった

「良し」

二日目

「水の中に大空あれ」

「水と水を分けよ」

大空の下と大空の上に水を分けた

神が言われるとその通りになった

大空を天と言った

三日目

「天の下の水は一つところに集まれ」

「乾いた所が現れよ」

神の言葉でその通りになった

乾いた所を地、水の集まった所を海

「良し」

「地は草を芽生えさせよ」

「種を持つ草と それぞれの種を持つ実をつける果樹を地に芽生えさせよ」

神の言葉で そのようになった

地には草 それぞれの種を持つ実をつける木が芽生えた

「良し」

四日目

「天の大空に光るもの」

「光るものは昼と夜を分ける」

「光るものは季節のしるし」

「光るものは日や年のしるし」

「天の大空の光るもの 地を照らせ」

神の言葉でその通りになった

二つの大きな光るもの そして星を創った

大きい光に昼、小さい光には夜を治めさせ 光と闇を分けた

「良し」

五日目

「生き物が水の中に群がれ」

「鳥は地の上 天の大空の面を飛べ」

水に群がるもの すなわち大きな怪物

うごめく生き物、

翼ある鳥を創造された

「良し」

「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ」

「鳥は地の上に増えよ」

神はそれらを祝福した

六日目

「地はそれぞれの生き物を産み出せ」

「家畜 這うもの 地の獣 それぞれ産み出せ」

神の言葉でそのようになった

「良し」

「我々にかたどり 我々に似せて」

「人を造ろう」

「海の魚 空の鳥 家畜 地の獣 地を這うもの 全てを支配させよう」

神はご自分にかたどって人を創造された

神にかたどって創造された

男と女に創造された

神は彼らを祝福した

「産めよ 増えよ 地に満ちよ」

「地を従わせよ」

「魚 鳥 這う生き物 全て支配せよ」

「見よ 全地に生える種を持つ草 種を持つ実をつける木を」

「全てあなたたちに与えよう」

「それがあなたたちの食べ物となる」

「獣 鳥 這うもの 全て命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう」

神の言葉の通りになった

神はお造りになった全てのものを見た

見よ それは極めてよかった

六日目で天地万物は完成された

2021年9月11日土曜日 20年前、テロで亡くなられた方々一人一人の霊魂が 天国で安らかでありますように。ご遺族の方々のお心が平穏でありますように。救助にたずさわった方々のご苦労が報われますように。主の御名によってアーメン

異端児

2021年6月6日キリストの聖体

モーセとアロンは エジプト王🇪🇬ファラオとの交渉に失敗した。ように見えるのだけれど、神からすればおりこみずみのことだった。

エジプトの王ファラオは当時言った。

「モーセとアロン、お前たちはなぜ彼らを仕事から引き離そうとするのだ。お前たちも自分の労働に戻るがよい」

「これからは、今までのように、彼らにレンガをつくるためにわらを与えるな。わらは自分たちで集めさせよ。しかも、今まで彼らがつくってきた同じレンガの数量を課し、減らしてはならない。彼らは怠け者なのだ。だから、自分たちの神に犠牲を捧げに行かせてくれなどと叫ぶのだ。この者たちは、仕事をきつくすれば、偽りの言葉に心を寄せることはなくなるだろう」➖この王の言い草➖

追い使う者と、下役の者は民に言った

「お前たちはどこにでも行って自分たちでわらを見つけてとってこい。ただし、仕事の量は少しも減らさない」

民は国中のわらの切り株までも集めた。

追い使うものたちは民に言った。

「わらがあったときと同じように、その日の割り当てをその日のうちに仕上げろ」とせきたてた。

➖今でもそんな意地の悪い職場ない?仕事の量を増やしておきながら 何故時間内で終わらせることができないのだ と、言葉や態度で鞭を打つ➖

王に任命された追い使う者たちは、監督として置いた下役の者たちに言った。

「どうして、今までと同じ決められた量のレンガをその日のうちに仕上げることができないのか」と言って 彼らを打った。➖ソックリな職場あるよね➖

下役たちは、王のところへ行った。

「どうしてあなたは僕(しもべ)たちにこのようにされるのですか。僕らにはわらが与えられません。それでも、レンガをつくれと言われて、僕らは打たれているのです。間違っているのはあなたの方です」

王は言った。

「この怠け者めが。お前たちは怠け者なのだ。すぐに行って働け。わらは与えない。しかし、割り当てられた量のレンガは必ず仕上げよ」

王は 民の嘆願に対し、かえって過酷に民を支配しようとした。

下役の者たちはモーセとアロンに抗議した。「・・・あなたたちのおかげで、我々は王とその家来たちに嫌われてしまった。・・・」

モーセは主に訴えた

「我が主よ あなたはなぜこの民に災いをくだされたのですか。」

「わたしを遣わせたのは、一体何故ですか。」

「わたしがあなたの御名によって語るため王の元に行ってから、彼はますますこの民を苦しめています。それなのに、あなたはご自分の民を全く救い出そうとされません」

主はモーセに言われた。

「今や、あなたは、わたしが王にすることを見るであろう。わたしの強い手によって、王はついに彼らを去らせる・・・」

「・・・わたしは主である。わたしはエジプトの重労働の下からあなたたちを導き出し 奴隷の身分から救い出す。腕を伸ばし 大いなる審判によってあなたたちを贖う。・・・」

モーセはその通り人々に語ったが、彼らは厳しい重労働のために意欲を失って、言うことを聞こうとしなかった。

と ここまでは出エジプト記5章・6章

この後、神である主は かたくなで残酷、弱い者イジメの意地悪な王に対し、御力を振うこととなる。主は この弱く小さな群れにピッタリ寄り添い この民のものとなった。

その後主は、大変労苦して民を率いるモーセを通して、さまざまな不思議な業を行い導いた。そして、十戒を与えた。

難しい箇所は省いて

・あなたの父母を敬え

・殺してはならない

・姦淫してはならない

・盗んではならない

・隣人に関して偽証してはならない

・隣人の家を欲してはならない

・隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど、隣人のものを一切欲してはならない

さて皆さん お気づきだろうか。

過酷な労働を課せられ虐げられた人々が、巨大なファラオの国から脱出し、共同体とも言えぬほど混沌とした小さな弱い群れであった時、神は厳しい掟を与えた旧約の時代。

この小さな群に神がともにおられたため、彼らは強められ堅固になった。

しかし時が経つと、自分たちが奴隷であったことを忘れ、神が常にそばでご保護してくださっていたことを忘れ、エジプト王ファラオのように まるで自分が神にでもなったかのように振る舞う人々が現れた。自分たちの罪を隠すために、弱く貧しい者たちに罪を着せたり、冤罪などというものもあふれていたのだろう。そして 小さな掟を破っただのなんだのこじつけ、村八分だの簡単に人を殺す事がまかり通っていた。虐げられた人々が地にあふれた頃、主は、救い主を世に与えた。それが、聖霊によって乙女マリアが身籠ったイエス。

宿屋の馬小屋で 動物らに囲まれて 羊飼いやら占星学者やら博士ら、聖霊による預言を信じた者たちに囲まれ 飼い葉桶に身を任せた赤ん坊。

そうした環境の中に、労働者ヨゼフと乙女マリアを通して、神はご自分の一人子をお与えになった。

その救い主イエスもまた、青年になり、宣教を開始してから、弟子たちや人々に教えや掟を与えた。

旧約の掟は、「〜をしてはならない」の禁止事項がほとんどであったのに対し、新訳のキリストの教えのほとんどが 「〜しなさい」という すすめの言葉だということ。

ここで注意しなくてはいけないのは、神が旧約の時代に与えてくださった十戒・掟・今でいうルール?をイエスは決して否定してはいない。しかし、それにもまして大切な事があると教えた。それに勝る掟はないと。

気づきだろうか。

聖書にその答えが記されています。

誕生の時に祝いにかけつけた占星術師、今でいうと天文学者になるのだろうか?単に占い師のことなのか。占い師 まじない師などというのは 当時忌み嫌われる職業であった。動物は汚れたものであった。羊飼いは貧しい者たちだった。汚れたもの とされていた。

何故、神はそうした場所で産ませ、そうした人々を集めたのか。

これは永遠に変わらないキリスト教の源泉となった。

信じる者を拒まない。

信じない者にさえ愛を贈る。

読者は言うだろう。

実際はどうか?

実際は、人間の集まり。

出エジプトの民と同じように、不平不満をいい 間違い 罪を犯し 神に逆らい 疑い深いものらは試そうとする。

言うなれば今現在も 私たちは旅の途中なのでしょうね。

ご聖体という イエス・キリストをその身に受けながら ともに歩む民の群れ。

世の終わりまで あなたがだとともにいるとおっしゃって下さった主の約束を信じる群れ。

もしかしたら、イエスが生まれた時かけつけた占星術・天文学者?とは、その後も交流があったのかもしれないね。月や星のことを彼らから学んでいたのかもしれない。そして、太陽の寿命の事も すでに彼らから聞いていたのかもしれないね。

最後の晩餐で、イエスはパンをとり、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。

「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。私の記念としてこのように行いなさい」

イエス・キリストは当時、神の愛を忘れ思い上がり、墜落し残酷になっていた人々が支配していたユダヤ教にとって、邪魔であり、異端児とされた。

使徒らは、その後約2000年に渡り 今尚 ミサを捧げ 参加し この記念を行なっている。聖者(聖人)の群れとともに。

ミサ・ご聖体は、主との約束であり、教えであり、一体となり 忘れないためである。

忘れない とは、主が生前なさった事、主が教えてくださった数々の事。

そして約束。

祈りましょう。

ひたすら、祈りましょう。

主がともにいてくださいます。1年後も 10年後も 100年後も 1000年後も 世の終わりまであなたがだとともにいるとおっしゃった事は真実です。

ご聖体をいただけなくとも 霊的拝領を受けられます。

そして私は、ご聖体をいただいた日々も味覚も魂も 未だ、さっきの事のように覚えています。

すみれが 瞳を輝かせ「早く食べたい!」「やわらかくて甘かった!」「もっと食べたい!」と言っていた日々を。

私も初めてご聖体をいただいた時「やわらかくて甘い」と感じたから、面白かった。

今は昔

彼女が信仰を失ったのは、私自身のいたらなさが全て 私自身の責任。

だってしょうがないでしょ