上からきた者

21 さて、また彼らに言われた、「わたしは去って行く。あなたがたはわたしを捜し求めるであろう。

そして自分の罪のうちに死ぬであろう。

わたしの行く所には、あなたがたは来ることができない」。


22 そこでユダヤ人たちは言った、

「わたしの行く所に、あなたがたは来ることができないと、言ったのは、あるいは自殺でもしようとするつもりか」。


23 イエスは彼らに言われた、

「あなたがたは下(死後天国に入れなかった霊魂たち)から出た者だが、わたしは上からきた者(天から遣わされた者)である。あなたがたはこの世の者であるが、わたしはこの世の者ではない。


24 だからわたしは、あなたがたは自分の罪のうちに死ぬであろうと、言ったのである。

もしわたしがそういう者であることをあなたがたが信じなければ、罪のうちに死ぬことになるからである」。




この場面で言う「ユダヤ人」と言う単語に気を囚われてはいけない。イエスさまご自身も、ユダヤ人であり、父のヨゼフも母マリアも 従順なユダヤ教徒だった事も忘れない。

昔の人は単純に、残酷な人々はわざと、聖書に出てくる「ユダヤ人」を利用し、迫害や弾圧に利用したようだ。

ここで大事なのは、ナニジン という事ではなく、

イエスは天から遣わされてきたのだという宣言。

そして地上には、

死後、天国の父である神のもとに帰れなかった霊魂が無数にいるという事を教えている。それらを下から出た者、と、表現したのだと思う。

イエスは度々、人間というより、その中にいる霊魂に話している時がある。悪霊を追い払う時、慰めの時 など。

つまり人間は、もともと悪い事をしてしまうのだ。と、神も以前言っている。

何不自由なく 不足するものもない 全て満たされた園に住まわせても尚、アダムやエバは父である神との約束よりも、あっさり蛇に唆され 人を唆し 裏切る。

それほど難しくない、たった一つの約束でさえ守れないのだ。

さらに、恐ろしさのあまり、それを人のせいにもする。

そうして、天の国から追放された。

人ははじめからそうしたものなのだ、と、神は全てをご存じ。

天の門には、セラフィムとケルビムという、神に忠実な門番がいる。

死後、真っ直ぐ神のもとに直行 帰還できる霊魂もあれば、汚れたままなので、門番に追い出され、地上に投げ落とされる霊魂もある。

それらの霊魂は、再び地上に戻る。

そうして地上を彷徨う汚れたままの霊魂が、人間に悪さをする。

天から遣わされた霊は、彼らを癒し、時に対峙する。

(「あなたの亡くなったご家族が成仏できずに地上を彷徨っている」などと、高額な料金を請求したり 怖がらせる 不安にさせる ものを売りつける 勧誘するのはカルトですから 気をつけましょう)

天から遣わされた霊による癒しなのか、奇跡なのかをカトリック教会では、選ばれた人々によって識別する。それは、50年も100年も それ以上もかけて結論を出す事が多い。

全て秩序だって行われる。

科学 医学 心理 ありとあらゆる専門の分野の人間たちによって厳正な審査を受ける。非常に慎重に天から遣わされた者、と認められた者だけを聖人と呼ぶ。

使徒の賜物 預言者の賜物 教師の賜物 奇跡を行う賜物 病気を癒す賜物 援助する者 管理する者 異言を語る者 識別の賜物 解釈する賜物

全てを兼ね備えて地上に現れたのは、後にも先にもナザレのイエス・キリストのみ。

信者らが、神から与えられたタラント、賜物はそれぞれ違う。そして 補い合う。人間の身体のように。

コリント1 .12章

そうして 教会は生き続けてきたし、これからも生き続ける。

いっとき、嵐に見舞われようと、悪魔たちに襲われようと、どんなに小さくさせられようとも、決してなくなる事はない。

それは、

神が人間を愛するが故に、地上に与えた神の神殿であり 目に見えるしるしだから。

人間は見捨てる

しかし神は決して人間を見捨てない

放蕩息子 放蕩娘でさえ

父と子と聖霊の御名によりて アーメン

作成者: sumiremama

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