教会

コロサイの教会への手紙 1:12-20
(皆さん、わたしたちは、)光の中にある聖なる者たちの相続分に、あなたがたがあずかれるようにしてくださった御父に感謝(しています。)

御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。

わたしたちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。

御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。

天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。

つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています。

また、御子はその体である教会の頭です。

御子は初めの者、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、すべてのことにおいて第一の者となられたのです。

神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。




父と子と聖霊の御名によりて アーメン

落ち着いた生活

テサロニケの教会への手紙 二 3:7-12


(皆さん、あなたがたは、)わたしたちにどのように倣えばよいか、よく知っています。

わたしたちは、そちらにいたとき、怠惰な生活をしませんでした。

また、だれからもパンをただでもらって食べたりはしませんでした。

むしろ、だれにも負担をかけまいと、夜昼大変苦労して、働き続けたのです。

援助を受ける権利がわたしたちになかったからではなく、あなたがたがわたしたちに倣うように、身をもって模範を示すためでした。

実際、あなたがたのもとにいたとき、わたしたちは、「働きたくない者は、食べてはならない」と命じていました。

ところが、聞くところによると、あなたがたの中には怠惰な生活をし、少しも働かず、余計なことをしている者がいるということです。

そのような者たちに、わたしたちは主イエス・キリストに結ばれた者として命じ、勧めます。

自分で得たパンを食べるように、落ち着いて仕事をしなさい。




そうですね

潜り込んで、会計係の家にドヤドヤ上がり込み飲酒 どんちゃん騒ぎ ちょろまかし、

飲み屋で使ったり 女性に店を出してやったり、

自分のために、

なんて人もいると思いますが、

デジタルや振り込み式になって、係のかたもだいぶ楽になりましたね、どこの国家であれ宗教であれ法人であれ団体であれ。

汗水垂らして働いた人々から集めた税金、献金は

彼らがわざと、

病気にさせたり、障害を負わせたり、働けなくされた人たちのために使ってもらわないといけませんね

恐れるな

ルカによる福音 21:5-19


(そのとき、)ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。

「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」


そこで、彼らはイエスに尋ねた。

「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか。」

イエスは言われた。

「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」

そして更に、言われた。

「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。

しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。

それはあなたがたにとって証しをする機会となる。だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。

どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。

また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。

しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」




2000年以上も前の事。

これらの事の後、世界中、幾度も似たような事が繰り返されてきた。

そして 大地震も台風も洪水も飢饉も疫病も天災も、化学・科学・医療の力、金の力、人間の力で可能になった。

それさえ、すでにご存知だったのでしょう。

人間の 欲 虚栄はキリがないね。

民が民が敵対し、国と国が敵対する。

そして鳶が餌を待ち構えては かっさらっていく。

そしてイエスさまがおっしゃる通り、『死体のあるところには禿鷹も集まる』

なんなんでしょうね

同じ事を繰り返すのは。

預言

第一朗読  マラキの預言 3:19-20a


見よ、その日が来る、炉のように燃える日が。
高慢な者、悪を行う者はすべてわらのようになる。
到来するその日は、と万軍の主は言われる。

彼らを燃え上がらせ、根も枝も残さない。
しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには、

義の太陽が昇る。

その翼にはいやす力がある。




「マラキ」とはヘブライ語で「私の使者」、

「私の天使」という意味

この預言の書、筆者についての正確な情報はない。

ユダヤ教では「後の預言」、キリスト教では「預言書」として扱われている。

さて、

戦争やテロはいつ終わるのか

いつになったら癒されるのか

困ったものだ

燃え尽きることはない

ルカによる福音 20:27-38


(そのとき、)復活があることを否定するサドカイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに尋ねた。


《「先生、モーセはわたしたちのために書いています。『ある人の兄が妻をめとり、子がなくて死んだ場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。

ところで、七人の兄弟がいました。

長男が妻を迎えましたが、子がないまま死にました。次男、三男と次々にこの女を妻にしましたが、七人とも同じように子供を残さないで死にました。最後にその女も死にました。

すると復活の時、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです。」》


イエスは言われた。

「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。

この人たちは、もはや死ぬことがない。

天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである。

死者が復活することは、モーセも『柴』の個所で、主をアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と呼んで、示している。

神は死んだ者の神ではなく、

生きている者の神なのだ。

すべての人は、神によって生きているからである。」




ここにやってきたのは、ユダヤ教サドカイ派の人々。

ユダヤ教二大勢力の一つで、祭司や上流階級を代表する者たち。ダビデ時代の大祭司ツァドクの子孫、または、「正しい」という意味の「サドカイ派」。

実際の彼らは 申命記に記された神の命令を守ることはなかった。

まず、25章1〜罪人とされた者に対する罰としての

鞭打ちに関して、

【人と人との間で争いがあり、彼らが裁判に出頭し、正しいほうを正しいとし、悪いほうを悪いとする判決が下されるとき、もし、その悪い者が、むち打ちにすべき者なら、さばきつかさは彼を伏させ、自分の前で、その罪に応じて数を数え、むち打ちにしなければならない。四十までは彼をむち打ってよいが、それ以上はいけない。それ以上多くむち打たれて、あなたの兄弟が、あなたの目の前で卑しめられないためである脱穀をしている牛にくつこを掛けてはならない。」】

あなたがたの間で悪いとされた者に対し、鞭打ちの回数が制限されている。それ以上辱めてはいけないと、神は命じておられる。

(そして以下は、【ユダヤ人】と限定せずに読んでほしい。何故なら、ユダヤ人と限らず、どこの国にも 民族にも、共同体にも、歴史にも、ある事だから。

何なら今現在も、地上のどこかで人知れず こんな事はある。たまたま神は選びの民として、ユダヤ人の前に現れ、ユダヤ社会をあげ 聖書に記す 遺す 世よ限りなく人類に伝えるという事をさせているけれども、このような事はどこにでも どの国、民族、共同体にもあるからこそなのだ)

 しかし彼らは、自分たちが正しい者と自惚れていながら、イエスをどれだけ辱めたか。十字架の道行をみればわかる。血に飢えた者たちによる必要以上の暴力を 止めようともしなかったのだ。

脱穀している牛にくつこを掛けてはならない】

殻と実を分離させられている牛(人間の代わりにやらされている家畜)にさえ、神は思いやりを示している。うっかりこぼれた実さえ一粒たりとも牛に食べさせてなるものかと、くつこをはめるのはおよしなさい、という事。

裁判、そして十字架の道行で、自分達こそ神を知っている、自分達こそ正しいと自惚れている者たちがイエスにしたことは、家畜にさえしてはいけないと神が命じた事以上の残酷なものだった。

そしていよいよ今日の福音でイエスがおっしゃっている【家名(家系)の存続】について。

【兄弟がいっしょに住んでいて、そのうちのひとりが死に、彼に子がない場合、死んだ者の妻は、家族以外のよそ者にとついではならない。

その夫の兄弟がその女のところに、はいり、これをめとって妻とし、夫の兄弟としての義務を果たさなければならない。

そして彼女が産む初めの男の子に、死んだ兄弟の名を継がせ、その名がイスラエルから消し去られないようにしなければならない。

しかし、もしその人が兄弟の、やもめになった妻をめとりたくない場合は、その兄弟のやもめになった妻は、町の門の長老たちのところに行って言わなければならない。

「私の夫の兄弟は、自分の兄弟のためにその名をイスラエルのうちに残そうとはせず、夫の兄弟としての義務を私に果たそうとしません。」

町の長老たちは彼を呼び寄せ、彼に告げなさい。

もし、彼が、「私は彼女をめとりたくない。」と言い張るなら、その兄弟のやもめになった妻は、長老たちの目の前で、彼に近寄り、彼の足からくつを脱がせ、彼の顔につばきして、彼に答えて言わなければならない。

「兄弟の家を立てない男は、このようにされる。」彼の名は、イスラエルの中で、「くつを脱がされた者の家」と呼ばれる。」】

モーセの時代に神が定めたレビラート婚という掟。

日本にも、昔、身分地位や、都・地方によってそれぞれ、土地の区画や相続に関する決まりがあった。それと同じように、

当時その共同体は、各家系単位に、相続地が割り当てられていた。子孫がなければ土地を相続することができなくなるしくみ。つまり、寡婦となった女は、生計の手段を失うという事。

そして、万が一長男を失った家の家系が絶えてしまわぬように、

また、土地を相続できず、彷徨う者のないようにという思いやり。

夫をなくして「よそ者に嫁いではならない」とは、当時の人々に与えた神のことば。よそ者に嫁ぐという事は、先祖と夫が神から与えられ代々労苦して守ってきた、そして守るべき土地や財を 安易によそ者にやってはいけないという事。

夫を亡くし、生活する手段を失う兄弟の妻が路頭に迷わぬようにしなくてはならない。にも関わらず、特別大きな理由もなく、嫌だ、と拒む、少しの犠牲も払いたくない、という男に対する当時の共同体の裁き、扱い。

その事に関して、サドカイ派の人々はイエスに尋ねている。誰もかれも死んでしまったら、家系が絶えた場合どうなるのか と。

日頃 「死んだ後の復活などない」と言っていた彼らが、人間が生き返った時(復活した時)どうなるのかと聞きにきた。

そこでイエスは、すっかり彼らは忘れてしまっているであろうモーセと柴の事を彼らに思い出させた。

見よ、その柴は燃え尽きる事はなかった。

「モーセ モーセ」と呼んだ天使は、炎の中にいた。

老いてくたびれたモーセは、燃え尽きる事のない炎の中の天使を見た。

重労働に苦しめられているイスラエルの人々の叫びを聞き、

「アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた」神。

苦役にあえぐ者たちの神を呼ぶ叫びを聞き、

神が、モーセを選んだ。

奴隷とされている人々を解放する為に、モーセを選び、呼んだ。

見よ、それは燃え尽きない。

死者の中から復活した者は 燃え尽きる事がない。

この時 あの時代、再び神はイエスを遣わした。

モーセは80才の時、神に呼ばれた。

イエスが神に呼ばれ 洗礼を受け、宣教を開始したのは、30代の青年の時。

娶ることも、子孫を遺す事もなかった。

そして、サドカイ派の人々に、家系が途絶えたらどうなるのか、土地の相続はどうなるのかに関する事はおっしゃらなかった。

主は、肉体は殺されても、死者の中から復活して、今 現在も生きておられる。

つまり 世よ限りなく永遠に、彼の魂、愛が

燃え尽きる事はない。

神の聖霊は、旧い掟に縛られる事なく、その都度、その時代、その地にふさわしいこたえを送り続けてくださっている。

モーセの時代、罰に関するものも、家畜に対するものも、家系、土地の相続に関するものも、神が最も大切にした事、掟の源泉は、思いやり、愛だった。

あとはその時生きていた人間がつけた副次的なもの。

必要以上の残酷な罰、家系や土地の事で、奪え、殺し合えというものではない

主は真実なかたです

テサロニケの教会への手紙 二 2:16-3:5


(皆さん、)わたしたちの主イエス・キリスト御自身、ならびに、わたしたちを愛して、永遠の慰めと確かな希望とを恵みによって与えてくださる、わたしたちの父である神が、どうか、あなたがたの心を励まし、また強め、いつも善い働きをし、善い言葉を語る者としてくださるように。


終わりに、兄弟たち、わたしたちのために祈ってください。主の言葉が、あなたがたのところでそうであったように、速やかに宣べ伝えられ、あがめられるように、

また、わたしたちが道に外れた悪人どもから逃れられるように、と祈ってください。

すべての人に、信仰があるわけではないのです。

しかし、主は真実な方です。

必ずあなたがたを強め、悪い者から守ってくださいます。

そして、わたしたちが命令することを、あなたがたは現に実行しており、また、これからもきっと実行してくれることと、主によって確信しています。

どうか、主が、あなたがたに神の愛とキリストの忍耐とを深く悟らせてくださるように。




父と子と聖霊の御名によりて アーメン

気を落とさず

強制と拒否

この旧約の箇所は現代にも未来にも通じる。

この出来事を通して神が伝えたかったのは、豚肉や掟を守る事で神に忠誠を表す、

という事だろうか。

口に入れるもの、身体に入れるものに関して、

決して 他人が強制してはいけない。

例えそれが王であろうと 他の誰であろうと。

強要するのは➖傲慢➖に他ならない

根が、残酷で我儘

惨めなる者

マカバイ記 二 7:1-2、9-14


(その日、)七人の兄弟が母親と共に捕らえられ、鞭や皮ひもで暴行を受け、律法で禁じられている豚肉を口にするよう、王に強制された。

彼らの一人が皆に代わって言った。

「いったいあなたは、我々から何を聞き出し、何を知ろうというのか。

我々は父祖伝来の律法に背くくらいなら、いつでも死ぬ用意はできているのだ。」
(二番目の者も)息を引き取る間際に、彼は言った。

「邪悪な者よ、あなたはこの世から我々の命を消し去ろうとしているが、世界の王は、律法のために死ぬ我々を、永遠の新しい命へとよみがえらせてくださるのだ。」


彼に続いて三番目の者もなぶりものにされた。彼は命ぜられると即座に舌を差し出し、勇敢に両手を差し伸べ、毅然として言った。

「わたしは天からこの舌や手を授かったが、主の律法のためなら、惜しいとは思わない。わたしは、主からそれらを再びいただけるのだと確信している。」

そこで、王自身も、供の者たちも、苦痛をいささかも意に介さないこの若者の精神に驚嘆した。


やがて彼も息を引き取ると、彼らは四番目の者も同様に苦しめ、拷問にかけた。

死ぬ間際に彼は言った。

「たとえ人の手で、死に渡されようとも、神が再び立ち上がらせてくださるという希望をこそ選ぶべきである。だがあなたは、よみがえって再び命を得ることはない。」

ふり返り くり返さず

知恵の書 11:22-12:2


(主よ)御前では、全宇宙は秤をわずかに傾ける塵、朝早く地に降りる一滴の露にすぎない。
全能のゆえに、あなたはすべての人を憐れみ、

回心させようとして、人々の罪を見過ごされる。


あなたは存在するものすべてを愛し、お造りになったものを何一つ嫌われない。


憎んでおられるのなら、造られなかったはずだ。
あなたがお望みにならないのに存続し、

あなたが呼び出されないのに存在するものが果たしてあるだろうか。
命を愛される主よ、すべてはあなたのもの、あなたはすべてをいとおしまれる。


あなたの不滅の霊がすべてのものの中にある。
主よ、あなたは罪に陥る者を少しずつ懲らしめ、罪のきっかけを思い出させて人を諭される。
悪を捨ててあなたを信じるようになるために。




知恵の書は、プロテスタントにはない。

旧約聖書のソロモンの知恵の書と言われるもの。

わたしは、ソロモン王の日記だと思っている。

ダビデという偉大な父のあとをついだソロモンは、神の恵みのもと知恵を与えられ、その治世を治めた。

難解な問題も見事に裁き、その裁きは人々の知るところとなる。

果たして老いてその身を振り返れば、彼とて冒さぬ罪などなく、人間に過ぎない。

思うところ、色々あったのだろう。

エジプトに臣下の礼をとり、エジプト王の娘を娶る事で、イスラエルの安全保障とした事に関しては、これをよしとしない者たちもいた。

それについて聖書には、神のことばはない。

おそらく、神とは何の関わりもなく、ソロモン自身が、もしくは周りの者が決めた事なのだろう。

政略結婚とも言われるが、残酷残虐な革命の起きた国々はたいてい、よその国から妻を娶っている。

国民が豊かで幸福ならそれも気にしないだろうが、

あふれるほどの貧しい人々と、公務に携わる者たちからの搾取、暴力、不当な扱いに、よその国からついてきた下々の者たちとの不平等や商売争いの時代は、憎悪の対象をつくりだす。

官僚以下の公務に携わる者たち、庶民と直接関わり、交わる者たちこそ、不自由で貧しい。その矛先が、弱い者に向かう事が多々ある。

もちろん、貧しい民に 良い教育など受けられるはずもなく 粗野で乱暴な者も多い。

弱い者いじめも不良行為も地に満ちる。

国の娘たちが売られ、男子は戦に駆り出され、間引きされる。

国は分断され、暴力沙汰は絶えない。

鳶もやってきては 囃し立てる。

常に挑まれ、仲間たちに見張られ、見下され、邪魔をされ、足を引っ張られ、ついには尊厳や人権まで奪われる。

双方 犠牲が絶えない。

敵国と限らず

悪弊が良幣を駆逐

悪兵が良兵を駆逐

そして、時を待っていた強盗団を招き入れ、彼らは乗り込んでくる。

わざと、国民を貧乏に、苦役を架し苦しめ、騙し続け、そうした長期計画を立てている者たちもいる。

悠仁さまは、どんなに押し売りされても、中国や韓国朝鮮系のアジア系の娘を娶ってはいけない。

決して。

他人、女、子どもの生命・財産・人生・尊厳・人権を尊重する事を学ばず知らず、

弱い者いじめ、日本人には何をしてもいいという

無礼で騒々しい、

日本人の顔と区別のつかない国に、

臣下の礼などもってのほか

果てしなく

テサロニケの信徒への手紙 二 1:11-2:2
(皆さん、わたしたちは)このことのためにも、

いつもあなたがたのために祈っています。

どうか、わたしたちの神が、あなたがたを招きにふさわしいものとしてくださり、また、その御力で、善を求めるあらゆる願いと信仰の働きを成就させてくださるように。

それは、わたしたちの神と主イエス・キリストの恵みによって、わたしたちの主イエスの名があなたがたの間であがめられ、あなたがたも主によって誉れを受けるようになるためです。


さて、兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストが来られることと、そのみもとにわたしたちが集められることについてお願いしたい。

霊や言葉によって、あるいは、わたしたちから書き送られたという手紙によって、主の日は既に来てしまったかのように言う者がいても、すぐに動揺して分別を無くしたり、慌てふためいたりしないでほしい。




まだまだ先は長そうだ。

大馬鹿野郎たちが、憎悪の連鎖を遺し、

居座る時代。

なんて大馬鹿野郎なんだ

と、

他人を馬鹿呼ばわりする者が

小さい者たち

ルカによる福音書 19:1-10
(そのとき、)イエスはエリコに入り、町を通っておられた。

そこにザアカイという人がいた。

この人は徴税人の頭で、金持ちであった。

イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。

それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。

そこを通り過ぎようとしておられたからである。

イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」

ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。これを見た人たちは皆つぶやいた。

「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」

しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」イエスは言われた。

「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」