異端児

2021年6月6日キリストの聖体

モーセとアロンは エジプト王🇪🇬ファラオとの交渉に失敗した。ように見えるのだけれど、神からすればおりこみずみのことだった。

エジプトの王ファラオは当時言った。

「モーセとアロン、お前たちはなぜ彼らを仕事から引き離そうとするのだ。お前たちも自分の労働に戻るがよい」

「これからは、今までのように、彼らにレンガをつくるためにわらを与えるな。わらは自分たちで集めさせよ。しかも、今まで彼らがつくってきた同じレンガの数量を課し、減らしてはならない。彼らは怠け者なのだ。だから、自分たちの神に犠牲を捧げに行かせてくれなどと叫ぶのだ。この者たちは、仕事をきつくすれば、偽りの言葉に心を寄せることはなくなるだろう」➖この王の言い草➖

追い使う者と、下役の者は民に言った

「お前たちはどこにでも行って自分たちでわらを見つけてとってこい。ただし、仕事の量は少しも減らさない」

民は国中のわらの切り株までも集めた。

追い使うものたちは民に言った。

「わらがあったときと同じように、その日の割り当てをその日のうちに仕上げろ」とせきたてた。

➖今でもそんな意地の悪い職場ない?仕事の量を増やしておきながら 何故時間内で終わらせることができないのだ と、言葉や態度で鞭を打つ➖

王に任命された追い使う者たちは、監督として置いた下役の者たちに言った。

「どうして、今までと同じ決められた量のレンガをその日のうちに仕上げることができないのか」と言って 彼らを打った。➖ソックリな職場あるよね➖

下役たちは、王のところへ行った。

「どうしてあなたは僕(しもべ)たちにこのようにされるのですか。僕らにはわらが与えられません。それでも、レンガをつくれと言われて、僕らは打たれているのです。間違っているのはあなたの方です」

王は言った。

「この怠け者めが。お前たちは怠け者なのだ。すぐに行って働け。わらは与えない。しかし、割り当てられた量のレンガは必ず仕上げよ」

王は 民の嘆願に対し、かえって過酷に民を支配しようとした。

下役の者たちはモーセとアロンに抗議した。「・・・あなたたちのおかげで、我々は王とその家来たちに嫌われてしまった。・・・」

モーセは主に訴えた

「我が主よ あなたはなぜこの民に災いをくだされたのですか。」

「わたしを遣わせたのは、一体何故ですか。」

「わたしがあなたの御名によって語るため王の元に行ってから、彼はますますこの民を苦しめています。それなのに、あなたはご自分の民を全く救い出そうとされません」

主はモーセに言われた。

「今や、あなたは、わたしが王にすることを見るであろう。わたしの強い手によって、王はついに彼らを去らせる・・・」

「・・・わたしは主である。わたしはエジプトの重労働の下からあなたたちを導き出し 奴隷の身分から救い出す。腕を伸ばし 大いなる審判によってあなたたちを贖う。・・・」

モーセはその通り人々に語ったが、彼らは厳しい重労働のために意欲を失って、言うことを聞こうとしなかった。

と ここまでは出エジプト記5章・6章

この後、神である主は かたくなで残酷、弱い者イジメの意地悪な王に対し、御力を振うこととなる。主は この弱く小さな群れにピッタリ寄り添い この民のものとなった。

その後主は、大変労苦して民を率いるモーセを通して、さまざまな不思議な業を行い導いた。そして、十戒を与えた。

難しい箇所は省いて

・あなたの父母を敬え

・殺してはならない

・姦淫してはならない

・盗んではならない

・隣人に関して偽証してはならない

・隣人の家を欲してはならない

・隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど、隣人のものを一切欲してはならない

さて皆さん お気づきだろうか。

過酷な労働を課せられ虐げられた人々が、巨大なファラオの国から脱出し、共同体とも言えぬほど混沌とした小さな弱い群れであった時、神は厳しい掟を与えた旧約の時代。

この小さな群に神がともにおられたため、彼らは強められ堅固になった。

しかし時が経つと、自分たちが奴隷であったことを忘れ、神が常にそばでご保護してくださっていたことを忘れ、エジプト王ファラオのように まるで自分が神にでもなったかのように振る舞う人々が現れた。自分たちの罪を隠すために、弱く貧しい者たちに罪を着せたり、冤罪などというものもあふれていたのだろう。そして 小さな掟を破っただのなんだのこじつけ、村八分だの簡単に人を殺す事がまかり通っていた。虐げられた人々が地にあふれた頃、主は、救い主を世に与えた。それが、聖霊によって乙女マリアが身籠ったイエス。

宿屋の馬小屋で 動物らに囲まれて 羊飼いやら占星学者やら博士ら、聖霊による預言を信じた者たちに囲まれ 飼い葉桶に身を任せた赤ん坊。

そうした環境の中に、労働者ヨゼフと乙女マリアを通して、神はご自分の一人子をお与えになった。

その救い主イエスもまた、青年になり、宣教を開始してから、弟子たちや人々に教えや掟を与えた。

旧約の掟は、「〜をしてはならない」の禁止事項がほとんどであったのに対し、新訳のキリストの教えのほとんどが 「〜しなさい」という すすめの言葉だということ。

ここで注意しなくてはいけないのは、神が旧約の時代に与えてくださった十戒・掟・今でいうルール?をイエスは決して否定してはいない。しかし、それにもまして大切な事があると教えた。それに勝る掟はないと。

気づきだろうか。

聖書にその答えが記されています。

誕生の時に祝いにかけつけた占星術師、今でいうと天文学者になるのだろうか?単に占い師のことなのか。占い師 まじない師などというのは 当時忌み嫌われる職業であった。動物は汚れたものであった。羊飼いは貧しい者たちだった。汚れたもの とされていた。

何故、神はそうした場所で産ませ、そうした人々を集めたのか。

これは永遠に変わらないキリスト教の源泉となった。

信じる者を拒まない。

信じない者にさえ愛を贈る。

読者は言うだろう。

実際はどうか?

実際は、人間の集まり。

出エジプトの民と同じように、不平不満をいい 間違い 罪を犯し 神に逆らい 疑い深いものらは試そうとする。

言うなれば今現在も 私たちは旅の途中なのでしょうね。

ご聖体という イエス・キリストをその身に受けながら ともに歩む民の群れ。

世の終わりまで あなたがだとともにいるとおっしゃって下さった主の約束を信じる群れ。

もしかしたら、イエスが生まれた時かけつけた占星術・天文学者?とは、その後も交流があったのかもしれないね。月や星のことを彼らから学んでいたのかもしれない。そして、太陽の寿命の事も すでに彼らから聞いていたのかもしれないね。

最後の晩餐で、イエスはパンをとり、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。

「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。私の記念としてこのように行いなさい」

イエス・キリストは当時、神の愛を忘れ思い上がり、墜落し残酷になっていた人々が支配していたユダヤ教にとって、邪魔であり、異端児とされた。

使徒らは、その後約2000年に渡り 今尚 ミサを捧げ 参加し この記念を行なっている。聖者(聖人)の群れとともに。

ミサ・ご聖体は、主との約束であり、教えであり、一体となり 忘れないためである。

忘れない とは、主が生前なさった事、主が教えてくださった数々の事。

そして約束。

祈りましょう。

ひたすら、祈りましょう。

主がともにいてくださいます。1年後も 10年後も 100年後も 1000年後も 世の終わりまであなたがだとともにいるとおっしゃった事は真実です。

ご聖体をいただけなくとも 霊的拝領を受けられます。

そして私は、ご聖体をいただいた日々も味覚も魂も 未だ、さっきの事のように覚えています。

すみれが 瞳を輝かせ「早く食べたい!」「やわらかくて甘かった!」「もっと食べたい!」と言っていた日々を。

私も初めてご聖体をいただいた時「やわらかくて甘い」と感じたから、面白かった。

今は昔

彼女が信仰を失ったのは、私自身のいたらなさが全て 私自身の責任。

だってしょうがないでしょ