不正

ルカによる福音書 16:1-13
(そのとき、イエスは、弟子たちに言われた。)「《ある金持ちに一人の管理人がいた。

この男が主人の財産を無駄使いしていると、告げ口をする者があった。

そこで、主人は彼を呼びつけて言った。

『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』管理人は考えた。

『どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。

そうだ。こうしよう。

管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』

そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』

また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。』主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。

この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。

そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。

そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。


「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。

だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。

また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。

どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」




不思議なことに、このみ言葉の箇所の神父さまのお説教や勉強会での記憶がない。

ここは、その人の立場によって、どうにでも都合よく、自分勝手な解釈をしてしまいがちだと思う。

まず、イエスさまは、「不正」を褒めたのではないという事をハッキリ覚えなくてはいけない。

自分の危機に直面した時の、素早い機転と生き延びようとする生命力、そして仲間づくりは、

当時イエスのそばにいた弟子たちも見倣うものがある、という事だと思う。

イエスの弟子たちは喧嘩っ早く 怒りやすく 仲間に対する競争心も激しかった。

もともと当時のユダヤ社会で生きてきた人たちなので、他者に厳しい そして掟に縛られている癖が多々あった。

あなた方は、散らすのではなく、集める者になりなさい、という事でしょうか。

ユダヤ教の律法には、同胞や異邦人に対するお金の貸し借りに事細かい規定がある。

同胞から利息をとってはいけないとか、相手が死なねばならぬほど全てをとってはいけないとか、未亡人 貧しい者たちへの神の思いやりあるきまりがたくさんあった。

ところが聖書には、天秤をごまかす、貧しい者を憐れまず 容赦せず、彼らを安い値で売り買いする者達、悪計をねり 謀事をし、容赦なく残酷な事をしている者たちの記録も記されている。

この福音では、「証文を書き直させた」とあるが、もともと、利息をとってはいけない同胞に対して、利息分を上乗せした証文をつくっていたのかもしれない、

本来、借金などする必要ない者たちに わざと借金をつくらせ、過酷な労働をさせていたのかもしれない、

借金返済のために死ぬほど働いた者に、新たな請求書を送りつけさらに負債を負わせたのかもしれない。

自分たちの贅沢な暮らしと、隠し財産資産口座、地位と権力を守るために、他人には借金をさせて、さらに貧しくし、思い通りになるようにしばっていたのかもしれない。

差額をちょろまかし、多く分捕った額を 自分の懐にいれていたのかもしれない。

「何故 これほどまで民が貧しいのか」

(民もまた財産・宝なのだ)

何故、これほどまで民は借金に喘いておるのか。

女、子どもらが売り買いされているのか。

死人 病者 障害を負う者が多いのか。

彼らは貧しくさせられているのか。

不自由なのか。

不正が行われている事を知った金持ちは、管理人に帳簿の提出を求めた。

管理人は慌てて、とってはいけない利息分を引いた額に書き換えさせた。負債を多く見積もって請求していたのを 書き換えさせた。

当たり前の額の証文に戻しただけなのに、感謝されるというね。

本来、この管理人は、正規の給料で生活ができるはずだったにも関わらず、不正に手を染めていた。

イエスさまは、不正を真似ろと言っているのではなく、不正がバレた時の管理人の対応を見倣いなさいと仰っているのだと思う。

不正がバレたとき、人はさらに不正を働き、罪を重ねる者たちもいる。

まともな思慮分別を持てない弱い者を狙っては、はたらいてもいない不正を着せ、大声でわめき散らし 責め立て 慌てさせ、その持っている全てを 結束した悪人らに奪われてしまう事もある。

ことさら罪(負債・負い目)を多く背負わせる

惨めにさせる

この管理人は、不正を直ちにやめた上に、感謝され、仲間まで増やした。

時に、

負債を返せない人の胸ぐらをつかみ、暴力を加え 脅す者たち 殺してしまう者たちもいる。

そうした者たちへの神の怒りも聖書にはある。

時に、

憐れに思いお金を貸してくれた人を 悪人たちが策を練り、貸してくれた人を結束して殺してしまう者たちもいる。

さらにその人の財産・遺産も奪う。

それら悪人らに対する神の怒りと報復もまた記されている。

憐れみのない残酷な者たち、悪人にとって、聖書の神は恐ろしい存在であり、存在してはいけないのだ。

そして

そうした悪人たちでさえ、心から悔い改める事もある。

と、聖書には記されている

父と子と聖霊の御名によりて アーメン

パウロからの手紙

テモテへの手紙 一 2:1-8


(愛する者よ、)まず第一に勧めます。

願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。

王たちやすべての高官のためにもささげなさい。

わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。

これは、わたしたちの救い主である神の御前に良いことであり、喜ばれることです。

神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。

神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。

この方はすべての人の贖いとして御自身を献げられました。これは定められた時になされた証しです。わたしは、その証しのために宣教者また使徒として、すなわち異邦人に信仰と真理を説く教師として任命されたのです。わたしは真実を語っており、偽りは言っていません。


だから、わたしが望むのは、男は怒らず争わず、清い手を上げてどこででも祈ることです。




その国で生まれ育った国籍の者も、異邦人も、移住者も、王や高官ら 上に立つ者たちが暴君とならぬよう祈りましょう

彼らが良縁に恵まれるよう 祈りましょう

一族同士の争いに、

民を巻き込まないよう祈りましょう

彼らが、荒くれ者たちに、

脅されたり、ご機嫌をとらずにすむよう祈りましょう

互いに思いやり、

家庭が平和であるよう祈りましょう

営利のために アイドルのように扱われ、

疲れ果ててしまわぬよう祈りましょう

国民に 愛と憐れみのあるよう祈りましょう

残酷で容赦なく、国民から生命財産搾り取り

異邦人の奴隷を欲する

男尊女卑の卑しい人はダメよね

そして

その国に生まれ育った国籍を持つ者も、

異邦人も、移住者も、怒らず祈りなさい、と

手紙に記されています。

怒りは死を招きます

父と子と聖霊の御名によりて アーメン

怒り

アモス書8章4ー8

4あなたがた、貧しい者を踏みつけ、また国の乏しい者を滅ぼす者よ、これを聞け。


5 あなたがたは言う、

「新月はいつ過ぎ去るだろう、そうしたら、われわれは穀物を売ろう。

安息日はいつ過ぎ去るだろう、そうしたら、われわれは麦を売り出そう。

われわれはエパを小さくし、シケルを大きくし、偽りのはかりをもって欺き、


6 乏しい者を金で買い、貧しい者をくつ一足で買いとり、また、くず麦を売ろう」。


7 主はヤコブの誇をさして誓われた、

「わたしは必ず彼らのすべてのわざをいつまでも忘れない。


8 これがために地は震わないであろうか。

地に住む者はみな嘆かないであろうか。

地はみなナイル川のようにわきあがり、エジプトのナイル川のようにみなぎって、また沈まないであろうか」。




ところが神さま、

あなたが、不正を計る彼らに怒り、

さまざまな災いを地に起こそうとも、

犠牲になるのは

常に彼らではない事をあなたはよくご存知です

嘆き哀しむのも、失うのも、

彼らではない

そして、あなたはおっしゃった

ノアの洪水以降、私は決して地上と人類にこのような事はしないと

災いを下そうとしては

祈りにこたえ、人々を憐れみ、

思い直され 踏みとどまるかた。

地上に起きる災いは、いつも、

彼らの悪の業によるものです

地上にて

福音朗読 ルカ15・1-32

1徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。

2すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。

3そこで、イエスは次のたとえを話された。

4「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。5そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、6家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。

7言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。




「このように悔い改める一人の罪人」とイエス様はおっしゃる。

つまり、「私の食卓にきて 食事を共にしたらなら 罪人は悔い改める」とおっしゃっている。

学者やファリサイ派は、人々からかき集めた金で生活をし、同じ層、仲間うちだけの交流しかしなかった。

または、他人の罪を探し回って罪人に認定すること,罰を与える事、罰金をとる事にだけ熱心だった。

一方、徴税人らは、人々から搾り取り、集めた金をちょろまかしていたり、天秤を誤魔化したり、ずる賢いことをしていたので、忌み嫌われかげ口を言われていた。

たいてい開き直り、商売人や労働者、貧乏人などから 何を言われようとも、なんとも思わない。

そんな人が、イエスの食卓に来て、食事をともにしようとした。

他にも、➖罪人➖とレッテルを貼られた人々が、イエスの話を聞きたい、その食卓にあずかりたい 一緒に食事をしたいと集まっていた。

ユダヤ教の、学者もファリサイ派の人々も、それを見て不満を口にした。

そこでイエスは答えた。

「あなたにとって大切なものがいなくなったら

あなたは捜さないのですか?」

神父様の説教に、こんなのがあった。

羊の群れにいられなくなった羊。

見つけた時は、相当弱っている。

一度群れから追い出され、

または、

はぐれてしまって弱っている羊を群れに連れ戻した時、

その群れによっては、

今度は本当に死んでしまうかもしれない

なだめ

出エジプト記 32:7-11、13-14


(その日、)主はモーセに仰せになった。

「直ちに下山せよ。あなたがエジプトの国から導き上った民は堕落し、早くもわたしが命じた道からそれて、若い雄牛の鋳像を造り、それにひれ伏し、いけにえをささげて、『イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上った神々だ』と叫んでいる。」

主は更に、モーセに言われた。

「わたしはこの民を見てきたが、実にかたくなな民である。今は、わたしを引き止めるな。わたしの怒りは彼らに対して燃え上がっている。わたしは彼らを滅ぼし尽くし、あなたを大いなる民とする。」

モーセは主なる神をなだめて言った。

「主よ、どうして御自分の民に向かって怒りを燃やされるのですか。

あなたが大いなる御力と強い御手をもってエジプトの国から導き出された民ではありませんか。

どうか、あなたの僕であるアブラハム、イサク、イスラエルを思い起こしてください。

あなたは彼らに自ら誓って、

『わたしはあなたたちの子孫を天の星のように増やし、わたしが与えると約束したこの土地をことごとくあなたたちの子孫に授け、永久にそれを継がせる』と言われたではありませんか。」

主は御自身の民にくだす、と告げられた災いを思い直された。




父と子と聖霊の御名によりて アーメン

掟と救い

ヨハネによる福音書 第9章

イエスが道をとおっておられるとき、生れつきの盲人を見られた。弟子たちはイエスに尋ねて言った、
「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」

イエスは答えられた、
「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。わたしは、わたしをつかわされたかたのわざを、昼の間にしなければならない。夜が来る。すると、だれも働けなくなる。わたしは、この世にいる間は、世の光である」

イエスはそう言って、地につばきをし、そのつばきで、どろをつくり、そのどろを盲人の目に塗って言われた、
「シロアム(つかわされた者)の池に行って洗いなさい」

そこで彼は行って洗った。

そこで彼は行って洗った。

そこで彼は行って洗った

(そこで彼は信じて従った)

そして見えるようになって、帰って行った。

近所の人々や、盲人がこじきであったのを見てよく知っていた人々が言った、


「この人は、道端にすわって物乞いをしていた者ではないか」


ある人々は「その人だ」と言い、

他の人々は「いや、ただあの人に似ているだけだ」と言った。

しかし、本人は「わたしがその盲人の物乞いだ」と言った。


そこで人々は彼に言った、

「では、おまえの目はどうしてあいたのか」

彼は答えた、
「イエスというかたが、どろをつくって、わたしの目に塗り、『シロアムに行って洗え』と言われました。それで、行って洗うと、見えるようになりました」


人々は彼に言った、

「その人はどこにいるのか」

彼は「知りません」と答えた。

人々は、もと盲人であったこの人を、ファリサイ派(神秘主義・カバラ教の元祖)の人たちのところにつれて行った。

イエスがどろをつくって彼の目をあけたのは、安息日であった。
あるファリサイ派の人たちが言った、


「その人は神からきた人ではない。安息日を守っていないのだから」


しかし、ほかのファリサイ派の人々は言った、
「罪のある人が、どうしてそのようなしるしを行うことができようか」

そして彼らの間に言い争いが生じた。

ついに彼らは、目が見えるようになったこの人の両親を呼んで、尋ねて言った、


「これが、生れつき盲人であったと、おまえたちの言っている息子か。それではどうして、いま目が見えるのか」


両親は答えて言った、
「これがわたしどもの息子であること、また生れつき盲人であったことは存じています。(この親は、自分の息子がいつも外の地べたに座り、物乞いをしている事も知っていながら放っておいていた)

しかし、どうしていま見えるようになったのか、それは知りません。また、だれがその目をあけて下さったのかも知りません。あれに聞いて下さい。あれはもう大人ですから、自分のことは自分で話せるでしょう」

両親はユダヤ人たちを恐れていたので、こう答えたのである。

もし「イエスをキリスト(救い主)」と告白する者があれば、会堂から追い出すと、ユダヤ人たちが既に決めていたからである。(その上で、あえて親に聞いたのだ)

彼の両親が「おとなですから、あれに聞いて下さい」と言ったのは、そのためであった。


そこで彼らは、盲人であった人をもう一度呼んで言った、
「神に栄光を帰するがよい。あの人が罪人であることは、わたしたちにはわかっている」

すると彼は言った、


「あのかたが罪人であるかどうか、わたしは知りません。

ただ一つのことだけ知っています。

わたしは盲であったが、今は見えるということです」


これを聞いて彼らは言った、
「おまえは全く罪の中に生れていながら、わたしたちを教えようとするのか」

(貧乏な罪人の分際で🗯不愉快な奴 フンガー)


そして彼を外へ追い出した。




昨日、ふとしたきっかけで、この福音のことを思い出した。

当時のユダヤ社会。「ユダヤ社会」に囚われないように。どこの国や地域 どんな共同体にでも、掟や決まり事はあるものです。村八分もね。

たまたま聖書では、ユダヤ人となっているけれど、それを 迫害や弾圧 暴力の口実にしてはいけない。

沐浴か 共同浴場かはわからないけれど、きっちり時間が決められており、目の見えないもの、脚の悪い者がそこにたどり着く、到着した時は「はい 時間です 次の時間にまたきなさい」というように、彼らはなかなか身を清める事ができないことが多かった。

係の者は、わざと そうしてからかったり、いじめた者もいたかもしれないね 今の地上を見ても。

耳の聞こえない者は、誰かに「時間ですよ」と教えてもらわなくては、気がつかなったかな?それとも彼らは、陽の高さや 人々の動きでわかるかな?

ちょっとこのあたり、記憶が曖昧なのよね。間違ってたらごめんね。

もちろんなかには、そうした人を背負ったり手を引いてつれていった者たちもいたでしょう。

そういう人たちを イエスはとても喜んだね。

そして奇跡を起こした。

この人ならきっとなんとかしてくれると、人で塞がった入り口ではなく、屋根にまで登ってそこからイエスのもとに仲間を連れて行った人々もいたね。

完全に信じ、必死で仲間を助けようとする愛。

イエスが現れるまで、誰も歩けるように、目を見えるように、しなかったし、できなかった。

目の見えない者は閉じたまま、

足萎えの者は歩けないまま

障害=本人、または家族が罪を犯したからと、烙印を押されたまま。

何もかもあきらめていた。

さて、

この日は、とても危険な行為をイエスはしている。

水腫を患った人を癒したのと同じく。

➖安息日の掟➖

教職員は言うそうだね。

時間外で子どもや保護者に何かしてやると、「あなたがやると、他の職員たちもやらなきゃならなくなるから やめて」と。

それだけ、現場の業務が逼迫し,無賃サービス労働と手のかかる子どもも多いのだろう。

教職員も保護者も 過労死寸前な人々も。

少子化で、どこも子ども集めに必死なものだから、次々行事を入れては補助金や会費をキープしないといけない。

子どももお母さん方も 大忙し。毎日毎日落ち着く事がない。ブラックや肉体労働、夜勤の人もおるしね。そういう職場の方が多いでしょ。

中には副業で、二つ三つ掛け持ちで仕事をしていたり。

仕事の休みの日ぐらい ゆっくり寝ていたいよね。事故やイライラ 物忘れ 判断ミスのもとだし。

夜勤だと、昼間寝ないといけないし。 

宿題 持ち物 衣服のサイズアウト、見逃すよね 子どものあれやこれや。

結婚前に貯蓄も充分できなかったであろう家庭は、二馬力で働く事を前提に子を産む。

ところが、子を預けてまで働けば働くほど 税金 保育料にとられ、社会保障は値上げをさせられる。

園、学校、地域に、労働力・奉仕を強制され、そこには、組織力、影響力、選挙運動の無料奉仕 活動にかり出せる思い通りになる駒を探し回る者たちがウヨウヨしている。

なんにんもで、あらゆる手段で デジタル通信も駆使しては工作し 奪い合う。

統一教会ばかりではないからね。

護送船団、インクルージブ教育の教室にあって、

それでもなお 頑なに 自治体はヘルパーもおかなければ、スクールポリスも置かない。

遅れている子はそのままに、躓く子はそのままに 問題行動もみないふり。

いじめられている子は いじめられっぱなし。いじめの愉快さを知った者たちは、口止めし、仲間を増やし、その残酷さをエスカレートしていく。

それらもまた放置。

あかるみにでたら、忙しさをアピール、それらを口実に、知らないを貫き、同情をかい、あとは弁護士先生に全てお任せ。彼らの指示に従う。ロボットのように。

みんながそうだとは言わない。

だけどその全てをしてあげる事など できない。

できないように させられている。

遠い研修所に行かせては,教室を空けて研修研修。

増やすというね。

平日なら、教室から離れて気分転換になっても、

担任がいないと、困る子や保護者もいる。

担任がいない日に、やらかす子もいるからね。

特に、いじめ。

どんな講師を呼んで どんな指導を受けているのかわからないけれど、昔から。

どうだろう、むしろいじめは悪化 死人は増え、不登校 行方不明の児童生徒はどんどん増えている。

講師料をいくら払ったら 何度やったらそうなるのだろう。

教育長は月に100万円近くとボーナスを受け、教育委員は一人につき毎月88,000円にボーナス。いじめ事件が起きれば、調査に一人につき1日16,000円。

そうして、いじめや体罰をする側の者たちに教え諭す事もさせずに、むしろ、たった一人の傷ついている子を黙らせる。病人にする。学校の外でもしつこくつきまとうようになる。仲間を増やし、エスカレートしてはとどめを何度もさし、偽りの念を押す。

➖あなたが全て悪い➖

➖家庭が全て悪い➖

➖全て本人と親のせい➖

さらに調子に乗って、仲間を増やしては追い詰める

担任も学校も保護者も仲間達もみんな

うちらの味方🎶

可哀想にね。

そういう残酷な黙らせ方、裁判対策の研修 悪知恵の伝授だろうか。

そうして 教室にいられなくなった優しい子は 人手不足予算不足の支援級で支援級の先生のお手伝い、お世話係、シメシメ ですか?全国統一で。

もしそうなら 思いついた連中は知能犯だな。相当残酷で無神経な 全体主義の。

それでも学校にいけなくなった子には、大金ぼったくる不登校ビジネスがおまちかね。

最も傷ついて、最も困っている子どもや親に対するビジネスって、どんな倫理観をもってしたらできるんだろうな。

それはそうと、

この重大な場面。

➖安息日に人を癒す➖罪人➖

掟の違反者、それは死にあたいする罪だとする人々に囲まれたイエス。

敵意と殺意に取り囲まれたイエス。

「地面」、

ヘブライ語で「ハーアダーマー」

創世記の最初の人は「アダム」=「ハーアーダーム」=地面、神によって土から造られた人。

人は神が土で造った。

「(イエスは)地につばきをし、そのつばきで、どろをつくり、そのどろを盲人の目に塗って言われた・・・」

そのように盲人の目を見えるようにしたイエスが、

のちに、罪人として、神がお造りになった子ら(アダムの子孫ら)によって、顔や目に唾を吐きかけられる事となる。

その受難の予告でもある場面。

イエスは盲人を救い、

アダムの子らは、人を救ったイエスを殺した。

「シロアム(遣わされた者)の池に行って、洗いなさい。」イエスは盲人に言った。

「池」=「ベレーハー」「バーラフ」「ひざまずく」「祝福される」

「遣わされた者」を信じ、跪き、あなたは祝福を受け、癒される、癒されて跪き祝福を受ける、という事かな?

とにかく、この盲人は 池に行くこと=信じた=心が洗われた、ゆえに、目が見えるようになった、という事かな?どう解釈すればいい?イエスさま。

この盲人はそれまで、人を信じる事も、信じるにあたいする人との出会いもなかったのでしょうね。

誰も相手にもしなかったでしょうし。

一人救われる毎に、イエスを信じる者が増える。

イエスを信じる者が増えるごと、

イエスの身に危険が迫る。

イエスに対する嫉妬と敵意

彼らのイエスに対する恐れも増す。

➖そして救われる人は 案外少ない➖

小さな戸口から入ろう

せまい戸口から

父と子と聖霊の御名によりて アーメン

そうしてこんな時に、

教皇が中国に行く予定だという

広々とした門への招き

だいたい、

どうした人たちによるものかは

想像がつく

9月6日、未決済の書類の山を抱えた英国に、チャールズ新国王が誕生し、8日目、

訂正、9月8日に新国王が誕生し、6日目に

カトリック教皇が中国に行くという話が出るなんてね まさに悪夢

あの 中国の仲間たち

胎で子を育て 産みの苦しみも喜びも味わったこともなく、寝る間も食べる間も無く、赤児の世話に明け暮れ、寝ずの看病もした事もない者たちが。

子を持たない女たち、おかまたちの方がよほど愛情深い者たちもいる。

死体の山を見慣れた者たちが、

子を 生かす事を知らぬ者たちが、

憐れみもなく容赦しない者たちが、

科学、医学、治験、実験を繰り返す。

神を信じない、他人の自由を奪い

小さい者たちを脅す者たちによる、

際限ない研究ができる地。

秘密を守るためにはなんだってする国。

聖書にある災害 大勢の人々の死を 人間の力で実現できる知識と技術と軍事力を兼ね備えた連中。

脅せば恐怖や金でなんでもいう事をきく 大勢のならず者らを所有する者たち。

対話対話と口では言いながら、話の全く通じない者たち。

平和平和といいながら、自ら破壊と戦争と殺人を招く者たち。

海をミサイルの残骸で汚し 不法投棄し放題

そんな巨大組織のもとへ

誰が呼び

誰が行かせ

誰が行きたがっているのか

上からきた者

21 さて、また彼らに言われた、「わたしは去って行く。あなたがたはわたしを捜し求めるであろう。

そして自分の罪のうちに死ぬであろう。

わたしの行く所には、あなたがたは来ることができない」。


22 そこでユダヤ人たちは言った、

「わたしの行く所に、あなたがたは来ることができないと、言ったのは、あるいは自殺でもしようとするつもりか」。


23 イエスは彼らに言われた、

「あなたがたは下(死後天国に入れなかった霊魂たち)から出た者だが、わたしは上からきた者(天から遣わされた者)である。あなたがたはこの世の者であるが、わたしはこの世の者ではない。


24 だからわたしは、あなたがたは自分の罪のうちに死ぬであろうと、言ったのである。

もしわたしがそういう者であることをあなたがたが信じなければ、罪のうちに死ぬことになるからである」。




この場面で言う「ユダヤ人」と言う単語に気を囚われてはいけない。イエスさまご自身も、ユダヤ人であり、父のヨゼフも母マリアも 従順なユダヤ教徒だった事も忘れない。

昔の人は単純に、残酷な人々はわざと、聖書に出てくる「ユダヤ人」を利用し、迫害や弾圧に利用したようだ。

ここで大事なのは、ナニジン という事ではなく、

イエスは天から遣わされてきたのだという宣言。

そして地上には、

死後、天国の父である神のもとに帰れなかった霊魂が無数にいるという事を教えている。それらを下から出た者、と、表現したのだと思う。

イエスは度々、人間というより、その中にいる霊魂に話している時がある。悪霊を追い払う時、慰めの時 など。

つまり人間は、もともと悪い事をしてしまうのだ。と、神も以前言っている。

何不自由なく 不足するものもない 全て満たされた園に住まわせても尚、アダムやエバは父である神との約束よりも、あっさり蛇に唆され 人を唆し 裏切る。

それほど難しくない、たった一つの約束でさえ守れないのだ。

さらに、恐ろしさのあまり、それを人のせいにもする。

そうして、天の国から追放された。

人ははじめからそうしたものなのだ、と、神は全てをご存じ。

天の門には、セラフィムとケルビムという、神に忠実な門番がいる。

死後、真っ直ぐ神のもとに直行 帰還できる霊魂もあれば、汚れたままなので、門番に追い出され、地上に投げ落とされる霊魂もある。

それらの霊魂は、再び地上に戻る。

そうして地上を彷徨う汚れたままの霊魂が、人間に悪さをする。

天から遣わされた霊は、彼らを癒し、時に対峙する。

(「あなたの亡くなったご家族が成仏できずに地上を彷徨っている」などと、高額な料金を請求したり 怖がらせる 不安にさせる ものを売りつける 勧誘するのはカルトですから 気をつけましょう)

天から遣わされた霊による癒しなのか、奇跡なのかをカトリック教会では、選ばれた人々によって識別する。それは、50年も100年も それ以上もかけて結論を出す事が多い。

全て秩序だって行われる。

科学 医学 心理 ありとあらゆる専門の分野の人間たちによって厳正な審査を受ける。非常に慎重に天から遣わされた者、と認められた者だけを聖人と呼ぶ。

使徒の賜物 預言者の賜物 教師の賜物 奇跡を行う賜物 病気を癒す賜物 援助する者 管理する者 異言を語る者 識別の賜物 解釈する賜物

全てを兼ね備えて地上に現れたのは、後にも先にもナザレのイエス・キリストのみ。

信者らが、神から与えられたタラント、賜物はそれぞれ違う。そして 補い合う。人間の身体のように。

コリント1 .12章

そうして 教会は生き続けてきたし、これからも生き続ける。

いっとき、嵐に見舞われようと、悪魔たちに襲われようと、どんなに小さくさせられようとも、決してなくなる事はない。

それは、

神が人間を愛するが故に、地上に与えた神の神殿であり 目に見えるしるしだから。

人間は見捨てる

しかし神は決して人間を見捨てない

放蕩息子 放蕩娘でさえ

父と子と聖霊の御名によりて アーメン

実り

実によって木を知る

ルカ6章

43「悪い実を結ぶ良い木はなく、また、良い実を結ぶ悪い木はない。

44木は、それぞれ、その結ぶ実によって分かる。茨からいちじくは採れないし、野ばらからぶどうは集められない。

45善い人は良いものを入れた心の倉から良いものを出し、悪い人は悪いものを入れた倉から悪いものを出す。人の口は、心からあふれ出ることを語るのである。



これほど科学が進歩した今では、その実さえ

人間によってどうにでもなるのです、イエスさま。

あなたはすでにご存知ですね 何もかも。

エジソン、ノーバート・ウィーナーの時代から すでに人類は黙示録を人間の手で実現できる知識を得てしまった。

もちろんこの研究者 科学者らには、資金を提供するオーナーや銀行が必要だし、全て彼らのものとなる。

その銀行は、どんどん大きくなって、日本の代表は長年、中国系日本人。年金運用を任せていたのだろう。

少女売春組織の富豪の口座を閉じるよう求められた時は、上質な顧客をたくさん紹介してくれるからという重役の一言で、しばらく閉じられることがなかったという。彼らは、それを容認していたということ。

その少年少女らはどこへ消えたのか

ジョン・フォイ・ノルマの時代はさらに、研究・科学の全ての知識・技術は、軍や国家のものとなった。

ノーバート・ウィーナーは、科学者らの倫理に警笛を鳴らした。

そして、そのような科学者は排除された時代。

正しい事を願う者は 足手まといなのだ。

神の領域に 手を出してはいけない と良心に訴える科学者は。

そして 気候を操り 大地を揺るがし、洪水をもたらし、破壊し、火山さえ爆発させる知識まであるという。

多くの人々を殺す、生物を どんなようにもできる人類は その権利、権力を我がものにしようと奪い合う。

頭のおかしい者たち 神を信じない者たち 愛のない者たち 不正を働く者たち 傲慢で支配欲の強い者 全体主義者達 名誉欲の強い者たち 評判が第一の残酷な者たちが 資金と技術を手に入れられる

映像も加工し放題、通信も盗み放題 食糧も自分達の蔵に隠して値をあげる または 不審な火災や爆発 コロナによる労働力不足 流通困難で農地を手放さなくてはならなくなった人々 これらの捜査もされない 聖書に出てくる災害を自分たちで操り 人や金を操る事も可能な 究極のカルトと無神論者の世にあって。

膨大な資金 技術 知識 手下を使い、どんどん 所有権、土地や農地を広げた者たちもいた。

恥ずかしげもなく、

自らが地上の神としてふるまう

世界中をだまし 黙らせ。

世界中をだまし 黙らせ。

世界中をだまし 黙らせ

結束して大きくなり富と財を不正に隠し蓄えて。

またある者たちは、胎児を始末する事を要求し、物事の判断のおぼつかない女の子たちに「胎児を殺す権利を‼︎」カメラの前で大声で泣き叫ばせる。世界中の見せ物にした。

世界に広がる売春組織も 拉致も行方不明も 貧困も 教育もレイプも、何一つ彼らは解決しようともしていないのよ?

あなたがたの味方のふりを装いながら

キリストの洗礼を受けた要人たちまで ご一緒に。

案の定,胎児殺害に長年反対し続けているバチカン カトリック教皇への謀反がはじまった。

公然と反旗を翻した

定期的に起きる ネット広報。

全く逆の広報。

さまざまな秘密結社 悪魔崇拝と、カトリックの教義は全く相入れない、それらに参加したり所属した聖職者、修道者は 大罪の状態にあると公に宣言した直後始まった「カトリックの法皇は秘密結社のメンバーだ」「カトリックの法皇は悪魔崇拝者だ」

洪水のように あっちでもこっちでも。

無神論と反キリストによって、

法皇は悪魔だ キリストの教会は悪だ

嵐のように

あっちでもこっちでも。

広告広報に大金を使える者たち。

根は 大嘘つきで世界規模の人殺し

右の者たちは右の教義を欲し、

左の者たちは左の教義を欲する。

よその者たち 反キリスト 怨みを抱く者 無神論者らが結束し 大勢で石を投げながら免罪符を要求する。

そんな時代

日本で大事に育てられた科学者 研究者なら・・・

人間の分際をわきまえない領域に関しては「それはダメだよ」と 止める者たちが多く現れないだろうか

報道の自由が守られる国なら…

以前はそんな夢も抱いたものの、全く逆の国にされてしまった。

そして貧しい学生や研究者らは、中国に行くという。

最悪の道

拉致もでしょ

20歳前後の子らの行方不明が増加中だそうだ

自民公明政権 そして野党がつくってきた道

あなたが必死で稼いだ金は誰のものになるのか

何のための活動資金になっているのか

どこかの誰かのための賄賂かもしれない

あなたや家族を不幸にするための組織を大きくするための資金になるかもしれない

それでもなお、働き払い続ける義務を課せられ

異国の者たちに馬鹿と言われ続け。

それでも尚、勤勉に働く人々。

報復は神のする事。

暴力や破壊 殺人は 残酷と憎悪の連鎖をうむだけだと 歴史から学んだ人々に倣おう。

神に信頼して アーメン

エリザベス女王陛下

2022年9月8日

地上での務めを終え、やれやれやっと自由にさせてもらえるわ、ただいま、と、

天国へ帰った英国エリザベス女王陛下。

地上では【女王】という囚われの身

神から与えられたその役を全うし、

天国へお帰りになられました。

地上にさよならした日は、天国での誕生日。

地上で、貴女が美しくしなやかで 幸福そうに振る舞えたのは、側近や 貴女に忠誠を誓った 貴女のことを第一に考え 動き 護った人々によるもの。

天国で その霊魂が安らかでありますように

またいつか、地上に派遣されたとき、

人々は貴女を見つけることができるでしょうか

父と子と聖霊の御名によりて アーメン

フィレモンへの手紙

9b~10、12~17節

(愛する者よ、)年老いて、今はまた、キリスト・イエスの囚人となっている、 このパウロ(は、) 監禁中にもうけたわたしの子オネシモのことで、 頼みがあるのです。

わたしの心であるオネシモを、あなたのもとに送り帰します。

本当は、わたしのもとに引き止めて、 福音のゆえに監禁されている間、 あなたの代わりに仕えてもらってもよいと思ったのですが、 あなたの承諾なしには何もしたくありません。

それは、あなたのせっかくの善い行いが、強いられたかたちでなく、 自発的になされるようにと思うからです。

恐らく彼がしばらくあなたのもとから引き離されていたのは、 あなたが彼をいつまでも自分のもとに置くためであったかもしれません。

その場合、もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、 つまり愛する兄弟としてです。

オネシモは特にわたしにとってそうですが、 あなたにとってはなおさらのこと、 一人の人間としても、 主を信じる者としても、 愛する兄弟であるはずです。


だから、わたしを仲間と見なしてくれるのでしたら、 オネシモをわたしと思って迎え入れてください。


どうか奴隷としてではなく、キリストの子、

そしてあなたの仲間の子として、迎え入れてください

そうパウロは懇願しています。

エリザベス女王の影武者をしていたお婆ちゃんたちは、皆 ご無事かしら。

これからは自分の人生を送れますね

どうかご無事で お幸せに過ごせますように

神のご守護を

父と子と聖霊の御名によりて アーメン

唯一無二

大勢の群衆がイエスと一緒について来たが、イエスは振り向いて言われた。

「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。

自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。

あなたがたのうち、塔を建てようとするとき、造り上げるのに十分な費用があるかどうか、まず腰をすえて計算しない者がいるだろうか。そうしないと、土台を築いただけで完成できず、見ていた人々は皆あざけって、『あの人は建て始めたが、完成することはできなかった』と言うだろう。

また、どんな王でも、ほかの王と戦いに行こうとするときは、二万の兵を率いて進軍して来る敵を、自分の一万の兵で迎え撃つことができるかどうか、まず腰をすえて考えてみないだろうか。もしできないと分かれば、敵がまだ遠方にいる間に使節を送って、和を求めるだろう。

だから、同じように、自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない。

ルカによる福音書 14章25〜




イエスの父 労働者ヨゼフも、母マリアも、敬虔なユダヤ教徒だった。神の教えを守り ユダヤ社会の律法を守り、罪を避け生活していたでしょう。

しかしその律法による社会では、地上に神の愛を実現する事は困難だった。

例えば、姦通、売春婦の場合。女は石打ちの刑、つまり男たちがそうすると決めたら、その女は見せ物にされながら死ぬまで皆に石を投げられる。

それが神の御心であり、神が与えた掟なのだと。内心、神などいないと思っている無神論者らと共に。

売春婦らは殺してもいい存在ということ

人々のストレス発散、嫉妬、憎悪、口封じ、自分が罪に定められないために、自分が安心するために 自分の家庭が平和であるために。

しかしその女性たちは、好きでそうした仕事をしていたのか。

そうではない事をイエスは知っていた。

そして人々の不満や怒りやエネルギーの矛先が、自分たちに来ないように 神の掟を利用している者たちがいる事も イエスは知っていた。

例えば、このように、「神が人を愛し それゆえ与えたはずの掟や決まり事」が、時を経て、

人間たちの欲望や我儘 自分本位 残酷さ 凶暴さによって歪められ、利用され、殺人も正当化されていた。神という存在を信じていない者たちとともに。

なんでも神のせいにし、掟を免罪符に 弱い者たちを虐待する社会になっていた。

我が身可愛さに。

つまり、

どっぷりその中にいたら それが当たり前の社会であって、

「それは違う」神の愛はそういうものではない、というイエスについて行くなら、家族はとめるであろう。

神の神殿である 誰もが祈れるはずの聖所が分け隔てられ、人々の生活をかえりみない 殺されゆく人々を心にもとめない者たちに支配されているなら、これを明け渡すよう要求する神。

からみつく者たちをふりきって、イエスについて行く覚悟がないなら、弟子にはなれない。

なんせこれから、その神殿に向かうのだから。

そしてイエスは決して強制しない。

去るものを引き止めない。

なんなら家に帰るよう薦める。

万軍の神に対し、名誉と地位と手下と、立派な神殿や衣裳 兵や財、安全という生活を持つ彼らは、それらを一切棄てる覚悟を持って、和を求めるだろうか。

彼らは神との和解を求めるだろうか。

イエスについてくるのは自由であるが、それだけでは「弟子」とは言わない。

あの時代、あの時、

神に遣わされた人、神の子 イエス。

後にも先にも、二度とはない。

唯一無二。

いつの時代であろうと、偽預言者 偽メシアに騙されぬように

父と子と聖霊の御名によりて アーメン