ハガルの逃亡と出産

父と子と聖霊の御名によりて アーメン

創世記 16

 アブラムの妻サライには、子どもが生まれなかった。彼女には、ハガルというエジプト人の女奴隷がいた。

サライはアブラムに言った。

「主はわたしに子どもを授けてくださいません」

「どうぞ、わたしの女奴隷のところに入ってください。わたしは彼女によって、子どもを与えられるかもしれません」

 アブラムは、サライの願いを聞き入れた。アブラムの妻は、エジプトの女奴隷ハガルを連れてきて、夫アブラムの側目とした。

アブラムがカナン地方に住んでから、十年後の事であった。

アブラムがカナン地方に住んでから十年後、
エジプト人女奴隷ハガルを側女にした

アブラムはハガルのところに入り、彼女は身ごもった。

ところが、自分が身ごもったのを知ると、彼女は女主人を軽んじた。

サライはアブラムに言った。

「わたしが不当な目に遭ったのは、あなたのせいです」

「女奴隷をあなたのふところに与えたのはわたしなのに、彼女は身ごもったのを知ると わたしを軽んじるようになりました」

「主がわたしとあなたとの間を裁かれますように」

 アブラムはサライに答えた

「あなたの女奴隷はあなたのものだ。好きにするがよい」

 サライは彼女につらくあたったので、彼女はサライのもとから逃げた。

主の御使いが荒れ野の泉のほとり、シェル街道に沿う泉のほとりで彼女に出会って言った。

「サライの女奴隷ハガルよ。あなたはどこから来て、どこへ行こうとしているのか」

「女主人サライのもとから逃げているところです」

と答えると、主の御使いは言った。

「女主人のもとに帰り 従順に仕えなさい」

主の御使いは更に言った。

「わたしは、あなたの子孫を数えきれないほど多く増やす」

主の身使いはまた言った。

「今、あなたは身ごもっている。あなたはやがて男の子を産む。その子をイシュマエルと名づけなさい 主があなたの悩みをお聞きになられたから。」

「彼は野生のロバのような人になる。彼があらゆる人に拳を振りかざすので 人々は皆 彼に拳を振るう。彼は兄弟全てに敵対して暮らす」

 ハガルは自分に語りかけた主の御名を呼んで、

「あなたこそ『エル・ロイ』わたしを顧みられる神です」

と言った。それは彼女が、

「神が私を顧みられた後もなお、私はここで見続けていたではないか」と言ったからである。

そこでその井戸は『べエル・ラハイ・ロイ』と呼ばれるようになった。それは、カディシュとベレドの間にある。

 ハガルはアブラムとの間に男の子を産んだ。アブラムは、ハガルが産んだ男の子をイシュマエルと名付けた。

ー黙想ー

わたしが身ごもって五ケ月目だったかな・・・

日本でいう戌の日の帯祝い そして腹帯を巻くでしょ?安産を祈願してもらうのに、神社に行って。

私はイグナチオ教会に予約をして 今は亡き司祭に祈願ミサをたててもらったの。司祭と わたしと お腹の中の赤ん坊と イエス様と天使だけ。他には誰もいない、静かで とても神聖だった。

そうだ 婚姻の秘蹟も、司祭と主人と私 三人だけだった。静寂に包まれて。みんなでお祝いパーティーしてくださると教会の方に言われたのだけれど、遠慮したの。

そのように教会でできるのは、日本に信仰の自由があるから。

カルトの自由はよくないわ。あれは 人と金 権力 支配のために勢力をのばしたいだけだし。集団活動で怖がらせ 混乱させ 洗脳だろうが麻薬だろうが自作自演だろうが 冤罪だろうが 脅迫だろうがなんだってする と されている。どこにでもいつの間にか潜り込んでるし。そして 本当によくないものだと いつも証明して見せる。長年投資育てた弁護士や役人 公務職員 教師 タレント 記者 経営者らを抱えて。

そうだ

あの日は小田急線のロマンスカーに乗って行ったんだ。最近まで コロナで運休してたんだっけ?箱根とか 温泉街にロマンスしに行く人も減ったのかな?(笑)誰がこの名前つけたんだろう 面白いね。バブル時代かしら。え?1934年から使われてたの?

帯祝いのミサをたててくださった神父様のロザリオのCDがあって、いつもその声とともにロザリオを祈ったものだわ。

懐かしい・・・

神道だと、初穂料っていうの?お礼を五千円から一万円包むでしょ?わたしもそれくらい包んだな。

普段のミサで特別な祈願をしていただく時は みんな千円くらいだっけ?神父様の昼食代くらいにはなるかな。

寺の和尚さんにお経をあげてもらうのはいくら包むのかしら。村の講和集会の時は、みんなから小銭集めて渡すところもあれば 最初から一人いくら っていうところもあるよね。

そうした 昔からの教会や日本の文化風習を見て 「金になるぞ」と 見よう見まねで始め 無理やり人を呼び集めるのがカルトや新興宗教だからね。人のいたいところをついたり脅したり 何人もで無理やりってところもあるそうだし。学校や大学 行政 企業ありとあらゆるところに潜り込み活動してるそうだし。本当に困るよね。洗脳なんて。

独身時代、実家にたびたびエホバが来て 結婚したら新居にまで来たのには驚いたわ さらに引越しのたびに早速 ピンポーンがくるの,数メートル離れた背後に男性がいて。すごいわね。最近よーやく来なくなったけど,教会にも行くし 神父様 修道者らにもお説教 議論をふっかけるくらいですもの あの方々は。

公園で 幼な子を連れたおとなしそうなママに声をかけるおばさんたちってなんなの?「子育てで何か悩みはない?子育て会ってあるの。みんなで悩みを相談しあったり 分かち合ったり」 カルトだそうだけどね、園 学校 ママ社会は死角でしょ?

そうだ、2021年11月14日日曜日、日本時間今23時。眞子様は念願のアメリカ合衆国にそろそろ到着したかな?

色々あるけれど、どうせなら 眞子様は幸せになりましょう。きっとお元気で

ダメならいつでも離婚してもいいのよ

神と天使らのご守護が

眞子様にありますように

アーメン

私たちは12月24日に入籍したのだけれど、その直後 役所から 主人の税金や保険の未払い通知が来たの。何年分も。大金だったわ。主人は 働いていたとき引かれていたから払う必要ないって言うけど 数年前の当時のお給料明細の証拠がないでしょ?役所に行って、わたしの貯金から耳を揃えて支払ったわ。

こうして 誰にも教えて貰えない そうしたいい加減な雇い人のところでしか働けない人間は搾取される。役所なのか、雇い人なのか、本人のなのか、とにかく 数年分 本人は給料から引かれていたはずと思っていたものが 払い込まれてなかったって事。   だいたい 社会保障や年金 国保 健康保険 市民税 学校でも家でも教えてもらえない子たちがほとんどよね。

雇い主が 日本の社会保障の事を知ってそれを忠実に守っている日本人とは限りませんし、広告に「社保完備」といくら記載されていても、自分で所在地の職安に行って確かめなきゃいけないんですのよ?本当は。ちゃんと 手続きされているか。

案外 されていない事もあるそうよ。店長が忙しくてできなかった 忘れてたとか、雇い主にその知識がなくいい加減だったとか、搾取とか。すると 役所からの請求書は数年後にまとめて突然きたりするから 唯一の証拠の給料明細なんてなくしてる人がほとんどでしょ?

政府は賃上げ要求してるようだけど、日本人が義務教育で何も教えられず社会に放り出され、奴隷のように働いて さらに後で多額の請求をされる。国民の義務だと。確定申告?なにそれ、と、わからない子がほとんどでしょ?

在日外国人は 支払わなくていいのでしょ?将来 もらえるかどうかもわからない年金も、橋、道路 警察 行政 教育 等等 公的サービスのための税も 日本人がたらふく支払い 彼らもその恩恵にあずかっているのにね 日本人はー 封建的デー 消費税反対 と、文句ばかり言われて。こっちは 文句が言いたくてもじーっと我慢してるのに。

高額納税者には 文句や愚痴る権利もありますけどね。小室圭さん 眞子さんの 社会保障 年金 保険 税はどうなるのかしら。確か移住先まで請求書が行くと聞いたけど。

例えばいじめで適応障害だと 精神障害3級にかくとうするか審査があって、認められたとして、1日100円支給されるの。ないよりはいいだろうけど、いじめに遭わず 働けて 高額な精神科受診料負担がないほうがずっといいでしょ?障害者枠で就職できるとも限らないんだし。低賃金の仕事しかないし。それに、いじめられるそうだよ 障害者枠で入ると。悪化するじゃん。

義務で支払えと言うなら 教える義務があるんだけどね そこはスルー。教えないのはわざとかしら。

教えることのできない教職員ばかりなのかしら?単元にないから教えなくていい といえばその通り。まともな 日本国民の義務を果たす社会人となることを 教え育てるとは 程遠いね。

今は ちゃんと健康保険加入している会社で働いていますけどね。世の中には 無知な若い子たちを使っている雇い人がたくさんいるのだから ちゃんとしてほしいね。雇い人が 社会保障の事を知っている または 誠実に守る かつ、日本人とは限らないんだから。

※ 婚姻の秘蹟を受けたクリスチャン夫婦の場合 離婚するのに 司祭も交えしばらく時間をかける。基本は よほどの事でないなら離婚を認めてはいない。それでも頑なに離婚を希望する場合 モーゼのように仕方なく認めるのだろう

洗礼を受けていない 結婚の秘蹟を受けていないご夫婦に関しては「離婚禁止」は 当てはまらない

律法学者に気をつけなさい

父と子と聖霊の御名によりて アーメン

年間31主日 B年

イエスは教えの中でこう言われた。

「律法学者に気をつけなさい

彼らは長い衣をまとって歩き回ることや

広場で挨拶される事

会堂では上席、宴会では上座に座る事を望み

また、やもめの家を食い物にし、

見せかけの長い祈りをする。

このような者たちは

人一倍厳しい裁きを受ける事になる」

ー黙想ー

「やもめの家を食いものにし」

確か他の箇所では「彼らは 先生と呼ばれる事を好み」ってなかった?

さて、この場面の前に 旧約の社会で間違った解釈がなされ 皆が学者らに教えられるがまま その間違いを信じている事を イエスは指摘している。

ー学者らの解釈は間違っている

そしてそのまま人々に伝えられているー

「メシア(救い主)はダビデの子」

当時学者らはそう教えていたらしい。意図してなのか いい加減とか適当にだったのかはわからないが、イエスがそれを訂正した。

「学者でしょ?ちゃんと聖書読んでる?」

しかも 彼らが住処とする神殿で。

やもめをどうやって利用してやろうか

衣の房の長さ

よりよい席に着く事には全力をあげ

それを第一とする日々。

神殿で商売をする露天商に恩を売り

感謝され

人々にうやうやしく挨拶されるのは大好き

それが第一のお仕事。

そして 平然と やもめを食いものにする。

「ダビデ自身が

メシア(救い主)を主と呼んでいる」

聖書にはちゃんとそう記されていたのだ。

イエスのこの説明に 大勢の群衆は喜んで耳を傾けた。

そりゃ 面白くないよね 学者たちは。

なんとか 人々をイエスから引き離したい。

面目丸つぶれですし。

いよいよ、

「労働力としての民衆に 文字や学問 知恵などを授けてはならない」 そう思ったでしょうね。

さらにその後 律法学者の見栄っぷり いいふりしいまでイエスが暴露するものだから はらわたが煮え繰り返っていたね 本当の事を言われて。

この際 誹謗中傷 侮辱罪で黙らせようか・・・

そうだ 自分たちを褒め称え気持ちよくさせてくれるもの以外の言論を封じ込めてしまえばいいのだ。

歯向かうもの 都合の悪い者は 財産を没収し 富のないものは刑務所にぶち込み 目には目を恥をかかせ 十字架に晒してやったらいい。

➖まずは犠牲と生贄が必要だ➖

まぁ そんなところだったのでしょう。

いつの時代も。

 イエスに神殿で「人一倍厳しい裁き」を受けた律法学者らは その後キリストを十字架につけ殺害した事で 死後 さらに厳しい裁きを神に受けたでしょうね。 

もちろん 神を信じない者たちは神を畏れる事も 死後の世界もない 死後の事などうでもよいので 平気でなんでもする。

恵みあふれる聖マリア

主はあなたとともにおられます

あなたは女のうちで祝福され

あなたの子イエスも祝福されています

神の母聖マリア

罪深い私たちのために

今も死を迎える時も

神に祈ってください  アーメン

学者らは ダビデの子孫の部族を

メシアの先祖として

特別扱いしなくてはいけなかったのだろう

罪を贖う唯一のいけにえ

父と子と聖霊の御名によりて アーメン

年間32主日 B年

ヘブライ人への手紙 9章26

 もしそうだとすれば、天地創造のはじめの時からたびたび苦しまねばならなかったはずです。ところが実際は 世の終わりにただ一度 ご自身をいけにえとして献げて罪を取り去るために 現れてくださいました。

 また 人間にはただ一度死ぬ事と その後に裁きを受けることが定まっているように キリストも 多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた後 二度目には 罪を負うためにではなく ご自分を待望している人たちに 救いをもたらすために現れてくださるのです

ー黙想ー

パウロの書簡は 教会、信者らへの勧告の手紙でもあるのだけれど、旧約の社会には(今でもカルトなどは)「いけにえ」を神に献げる習慣や儀式がある。

元ユダヤ教徒ファリサイ派のパウロは この習慣を真っ向から否定し あなた方キリストを信じる者たちは こうした事をする必要がないと たびたび強く勧告している。

イエスご自身が 残酷な者たちによっていけにえとされ また 自らすすんで そうしたいならそうしなさいと十字架を背負った。

そこで 彼らが改心すると思いきや 実際は 改心する必要のない清い心の人々が悲しみ嘆き 絶望し 残酷な者たちは未だにイエスを否定し 信じてはいない。

また ある者たちは この世の地上での権威 結束 快楽 金銭・富のために イエスを認めず 昔の慣習を棄てず いけにえを取り引きし 売買している。神とはなんの関わりもない事を継続しているのだ。無神論者らとともに

 しかし イエスを当時信じたものたちは、深い深い悲しみと絶望のさなかに 生前イエスが言ったとおり 三日目に復活したのを見た。

マグダラのマリアや婦人たち 弟子らに現れたイエスは 40日目に天にあげられたのだけれど、それまで幾度となく弟子たちに現れ ご自身が生きている数々の証拠を示し また 神の国について話された。

食事をともにしたときは、

「あなた方はまもなく 聖霊によって洗礼を受ける」といい、

「国を建て直して下さるのは この時ですか」との弟子たちの問いには

「父である神がご自分の権威をもってお定めになった時や時期は あなた方の知るところではない」

「あなた方の上に聖霊が降ると あなた方は力を受ける」

「(あなたがたは)地の果てに至るまで わたしの証人となる」

とおこたえになった。

 さて これを読むあなたが、旧約やまじない師の行う生贄や儀式を信じるのか キリストを信じるのか それはあなたの自由。

なのだけれど、動物の生贄は 動物愛護法を守ってもらわねばならない。残酷な事をした者は この世の罰を受けなくてはいけない。

 また 無罪の人をいけにえとし 罪をなすりつけ 世を欺き 闘う相手を脅すための材料にしてはいけない。それらはまさしく 単なるカルトであり無神論者なのだ。 

パウロの言うとおり キリストの十字架と復活以降 、神との関わりのためにいけにえなどというものは全く必要ない。

 パウロは当時の共同体に 勧告し強調し念を押している。神との関わりや祈願に、血や生贄が必要と思う者は 今すぐ直ちに キリスト共同体ではなくそうしたものを好む人々のところに戻る または行けば良いのだ と。

 また 神も何も信じていない かつ 残忍な者たちには 彼らの父である血に飢えた悪魔 サタンがいる。

彼らは人を騙し 陥れ 罪を着せ 嘘をついては沈黙する。ずる賢く狡猾で 弱い者 貧しい者を利用しては富を増やす。

そうした者たち同士 偽りの証人らは集えばいいのだ。

パウロは何度も言う。

キリストは「世の終わりにただ一度 ご自身をいけにえとして献げ 世の罪を取り去るために現れてくださいました」

唯一のいけにえは 後にも先にも 罪を贖うイエスただお一人 だと

2021年前地上で起きた 無実の神の十字架が 最初で最後である

ー聞く耳のあるものは聞きなさいーと、今もおっしゃているのかな?

預言者エリヤ

父と子と聖霊の御名によりて アーメン

列王記 17章 8〜

 また主の言葉がエリヤに臨んだ。「立ってシドンのサレプタに行き そこに住め。わたしはひとりのやもめに命じて そこであなたを養わせる」

彼は立ってサレプタに行った。町の入り口までくると 一人のやもめが薪を拾っていた。

エリヤはやもめに声をかけ 「器に少々水を持って来て、わたしに飲ませてください」と言った。

彼女が取りに行こうとすると エリヤは声をかけ 「パンも一切れ 手に持って来てください」と言った。

彼女は答えた。

「あなたの神 主は生きておられます。わたしには焼いたパンなどありません。ただ壺の中に一握りの小麦粉と 瓶の中にわずかな油があるだけです。わたしはこの二本の薪を拾って帰り わたしとわたしの息子の食べ物を作るところです。私たちはそれを食べてしまえば あとは死ぬのを待つばかりです」

エリヤは言った。

「恐れてはならない。帰って あなたのいったとおりにしなさい。だが まずそれでわたしのために小さいパン菓子を作って わたしに持って来なさい。その後 あなたの息子のために作りなさい。なぜならイスラエルの神 主はこう言われる。

 主が地の面に雨を降らせる日まで

 壺の粉は尽きる事なく

 瓶の油はなくならない」

やもめは行って エリヤの言葉どおりにした。

こうして彼女もエリヤも 彼女の家の者も 幾日も食べ物に事欠かなかった。

主がエリヤによって告げられた御言葉のとおり 壺の粉は尽きる事なく 瓶の油もなくならなかった。

ー黙想ー

この箇所は イエスがサマリアの女に話しかける場面に似ている。

意図せずに 遥か昔の神の人と同じような場面に遭遇し 似たような会話がなされたのでしょう。

 さて この旧約の預言者エリヤ。神の人とも呼ばれた大預言者について。

まず 遡って話さなくてはいけない。

ダビデの子ソロモンは 賢かったのだけれど 多くの女性を愛し その虜となった。数々の王妃と側室がいた。それは主なる神のお望みではなかった。

「彼らは必ずあなたたちの心を迷わせる」

 ソロモンが老境に入った時 案の定 女たちは王の心を迷わせ 他の神々に向かわせた。

女神アシュトレト 神ミルコム 神ケモシュ 神モレク ・・・

ソロモン王の心は迷い 天地創造の主なる神から離れた。主は二度 戒めたが ソロモンは守らなかった。

そこで主なる神は言われた。

「わたしが授けた契約と掟を守らなかったゆえに あなたから王国をさいて取り上げ あなたの家臣に渡す」

「ただし 王国全部を裂いて取り上げる事はしない。我がしもべダビデのゆえに わたしが選んだ都エルサレムのゆえに あなたの息子に一つの部族を与える」

 この時から 主は ソロモンに敵対するものを次々起こす。その中に ネバトの子ヤロブアムがいた。彼はソロモンに仕えていたが やがて王に反旗を翻した。

 ヤロブアムは有能な人物で ソロモンはこの若者の働きぶりを見て ヨセフ族労役全体の監督に任命していた。

ある日 エルサレムを出たところで 預言者アヒヤが道で彼に出会った。そうしてヤロブアムに言った。

「主はこう言われる『わたしはソロモンの手から王国を裂いて取り上げ 十の部族をあなたに与える。ただ一部族だけは 我がしもべダビデのゆえに また 全部族の中から選んだ都エルサレムのゆえにソロモンのものとする・・・』」

「『わたしがこうするのは ソロモンがわたしの道を歩まず わたしの目にかなう正しい事を行わず 父ダビデのようには 掟と法を守らなかったからである。』」

「『わたしの戒めと掟を守った 私の選んだしもべダビデのゆえに 彼をその生涯にわたって君主としておく。しかしわたしは 彼ソロモンの手から王権を取り上げ それを十部族とともにあなたに与える。』」

「『わたしはあなたを選ぶ 自分の望む通りに支配し 王となれ。あなたがわたしの戒めにことごとく聞き従い わたしの道を歩み わたしの目にかなう正しい事を行い 我がしもべダビデと同じように掟と戒めを守るなら わたしはあなたとと共におり ダビデのために家を建てたように あなたのためにも堅固な家を建てる。こうしてわたしはダビデの子孫を苦しめる。しかし いつまでもというわけではない』」

神の人からそれらを聞いたヤロブアムを ソロモン王は殺そうとした。ヤロブアムは直ちにエジプト王シシャクのもとに逃亡。ソロモンが死ぬまで エジプトにとどまった。

ソロモンが天寿を全うし ダビデの町に葬られたのち ソロモンの子レハブアムが王になった。

エジプト滞在中のヤロブアムも呼ばれた。そして ソロモンの子レハブアム新王に言った。

「あなたの父ソロモン王は わたしたちに過酷な軛を負わせました。あなたの父上が私たちに課した過酷な労働 重い軛を軽くしてください。そうすれば 私たちはあなたにお仕えします」

ソロモンの子レハブアム王は 父ソロモンに仕えていた長老たちに相談した。彼らは答えた

「もしあなたが今日この民のしもべとなり 彼らに仕えてその求めに応じ 優しい言葉をかけるなら 彼らはいつまでもあなたに仕えるはずです」

しかしソロモンの息子レハブアム新王は この長老たちの勧めを捨て 自分たちと共に育ち 自分に仕えている若者たちの勧めを選んだ。

「この民にこう言いなさい『わたしの小指は父の腰より太い。父がお前たちに重い軛を負わせたのだから わたしは更にそれを重くする。父がお前たちを鞭で懲らしめたのだから わたしはさそりで懲らしめる』」

ソロモンの跡取り息子の新しい王は ヤロブアムと全ての民に その勧めの通り告げた。

人々は 王が耳をかさないのを見て 言葉を返した。

「ダビデの家に我々の受け継ぐ分が少しでもあろうか。エッサイの子とともにする嗣業はない」

「今後自分の家の事は自分で見るがよい」

このようにして 王国は分裂していった。

 ソロモンが 天地創造の神以外のわけのわからないものにうつつをぬかし それらに従ったからだ。

それから ダビデ・ソロモン・ヤロブアムとその子孫らと 他の王たちとの間で 争いが絶えることなく続いた。

 イスラエルの王に オムリの子アハブが立ったのは、ユダの王アサの治世第三十八年。

 イスラエル王アハブはサマリアで二十二年間イスラエルを治めたが 誰よりも悪だった。天地創造の神ではないものを神といい それに仕え ひれ伏し それのために神殿を建て 祭壇まで築いた。それまでのどの王にも増して 主の怒りをかった。

預言者エリヤが現れたのはその頃だった。

ーギレアドの住民、ティシュべ人エリヤー

ヨルダンの東の向こうに

エリヤはアハブ王に言った。

「主は生きておられる。わたしが告げるまで 数年の間 露も降りず雨も降らないであろう」

主のことばがエリヤに臨んだ

「ここを去り 東に向かい ヨルダンの東にあるケリトの川のほとりに身を隠せ。その川の水を飲むが良い。わたしは烏に命じて そこであなたを養わせる」

エリヤは直ちに行動した。

 ヨルダンの東にあるケリトの川のほとりに行き そこにとどまると 数羽の烏が 朝夕 パンと肉を運んできた。先の預言通り 雨がこの地方に降らなかったので 川も枯れてしまった。

再び主の言葉がエリヤに臨んだ。

「立ってシドンのサレプタに行き そこに住め。わたしは一人のやもめに命じて そこであなたを養わせる。」

エリヤはたって サレプタに行った。

すると 町の入り口に一人のやもめが薪を拾っていた。

さて このやもめは息子と二人暮らしのようだ。そのやもめに エリヤは 少しの水とパンを要求する。

やもめは言った。

「あなたの神 主は生きておられます」(神は生きておられるので わたしは決して嘘はつけません)

「わたしには焼いたパンなどありません。壺の中に一握りの小麦 瓶の中にわずかな油があるだけです」

「二本の薪を拾って帰り わたしと息子の食べ物を作り それを食べてしまえば あとは死ぬのを待つばかりです」

エリヤは言う

「恐れてはならない」

「まずそれでわたしのために小さいパン菓子をつくって わたしに持って来なさい。その後 あなたの息子のためにつくりなさい」

「主が地の面に雨を降らせる日まで 壺の粉は尽きる事なく 瓶の油はなくならない」

主は エリヤを使い この貧しいやもめと息子を救おうとしていたのだ。

 やもめはすぐに行って エリヤの言葉通りにした。

そして エリヤの言葉通り 幾日も それは尽きることがなかった。

直ちに従う

ただ信じた

それが義とされた

神の手は長い

最も重要な掟

父と子と聖霊の御名によりて アーメン

 彼らの議論を聞いていたひとりの律法学者が進み出て イエスが立派にお答えになったのを見て尋ねた。

「あらゆる掟のうちで,どれが第一でしょうか」

イエスはお答えになった。

「第一の掟は,これである。『聞け 私たちの神である主は,唯一の主である。

心を尽くし 精神を尽くし 思いを尽くし あなたの神である主を愛しなさい。』」

「第二の掟はこれである

『隣人を自分のように愛しなさい』

この二つに勝る掟は他にない」

律法学者はイエスに言った。

「先生 おしっしゃる通りです。『神は唯一である。他に神はいない』とおっしゃったのは本当です。

そして『心を尽くして 知恵を尽くして 力を尽くして神を愛し また隣人を自分のように愛する』ということは どんな焼き尽くす献げものやいけにえよりも優れています。」

イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て

「あなたは神の国から遠くない」

と言われた。

もはや,あえて質問する者はなかった。

ー黙想ー

アダムとエバは,神の言いつけよりも,蛇の誘惑に魅かれ 信じ 従った。

自分たちを造り 愛し 護っていた父である神よりも 蛇を選んだ。

そして,エデンの園から追放された。

その息子であるカインは,嫉妬により 弟を殺し エデンの東,ノド さすらいの地に住むこととなった。

こうして人間は 罪を犯すごとに エデンの園,つまり神が住まう天国から遠ざけられた。

さて,ここはどういう場面かというと,エリコで盲人バルティマイを癒したイエスらは,エルサレムに到着した。

民衆に 熱烈な歓迎を受けたのだが,こともあろうに イエスはさっそくエルサレム神殿の境内で商売人たちを追い出した。

「こう書いているではないか『わたしの家は 全ての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである』

ところが あなたたちは それを強盗の巣にしてしまった」

イエスのこの言動に 祭司長たちや律法学者らは大変なプライドを傷つけられた。

長年 聖職者と律法の専門家とされ 人々の上に立っていた人々が,イエスに恥をかかされたのだから たまったものではない。

当時その神殿は,階級 土着ユダヤ人 外国人(異邦人) その他 立ち入れる場所があちこち分かれていた。

「あなたはここで祈りなさい ここから先は入ってはいけない」「あなたさまはどうぞどうぞ 奥の間に」例えばこんな感じね。

黒人差別とことのほか騒がれるのだけれど,現実には どの国にも どの地方にも どの民族にも それはあった。

キリストを信じると言って キリストに祈る国でさえそうなのだ。

ジョンレノンの言葉は面白かったね

「お金持ちはこちらの席で宝石をジャラジャラ 貧乏人はあちらの先で拍手を」だったっけ?そんな感じの事言って笑わせてたね。

あの人は,若者にしろ誰にしろ 地上には イエスよりもビートルズを知っている人々の方が多い という事を言って その言葉尻を捉えられ 大顰蹙を買ってたね(笑)

事実なんだけれどね。有名人だったから。

キリスト教の国じゃない人々は 実際 「イエス・キリスト?誰それ 美味しいの?」でしょ?

日本人であり 彼の2番目の妻ヨーコから そんな話を聞いたのかもしれないね。

有名人を 宣教 広報 広告塔に使う新興宗教・カルトはまさに その効果を利用してるね。

 この時 神殿でのイエスは,まさに神の霊に取り憑かれたかのように怒りをあらわにした。

神殿の境内で 神に献げる鳩を売り 外国人の貨幣を両替し 取引し ガヤガヤ賑やかだったでしょうね。そこで商売していた人たちは かなり 儲けていたでしょう。動物だなんだ 卸しにくる荷車だの飛脚だのも行き交っていたのかな?

言葉のわからない外国人から 両替人はこっそり多くとっていたかな?それでいて 外国人は神殿の隅っこで祈れとか?

わからないけどね とにかくイエスは怒った。

祈りの家を 強盗の巣にしてしまったお前ら と。

そこで,祭司長、律法学者、神殿で商売ができる人たちもまた イエスに激怒した。

彼らは イエスを殺そうと謀ったのだけれど,人々がイエスの説教に夢中だったので できなかった。

同じユダヤ民族であり,兄弟であるイエスに対し 殺意が生まれた。

殺そうと謀った。

神の事を教える人々 それを生業とし その専門家として生活している彼らが だ。

イエスと弟子たちは夕方になると都の外に出て 夜を過ごした。

そして また エルサレムの神殿境内に入る。祭司長 律法学者 長老たちはイエスのところにやってきて苦情をいう。それに対し イエスが答える。

さらに怒りをかう

彼らはイエスの言葉尻を捉え なんとしても陥れたかった。そこで 今度は ファリサイ派やヘロデ派まで遣わした。普段 仲の悪い者たちが 祭司長の元 団結してイエスを陥れるために張り切った。

その次は サドカイ派の人々がイエスのところにやってきては イエスを試すために質問を投げかける。

それらのあとが,今日の福音 「最も重要な掟」の場面。

ファリサイ派というのは,ハスモン王朝時代に派生したユダヤ教の派閥。❶律法を守る事 ❷安息日 断食 施し などによる清め に精進していた派閥。律法を守らない 汚れた人々と私たちは違うのよ といった感じで 自分たち自ら 人々から「分離した者たち」「選ばれた者たち」現代でいう意識高い系の人々。パウロはこのファリサイ派の人であった。律法主義者らもこの派に属する。

この流れを組むのが 現在ハリウッドやセレブで大流行の カバラ教団。

サドカイ派は,ユダヤ教二大勢力の一つで,祭司 上流階級の人々。律法解釈や生活実践で ファリサイ派と当時対立していた派閥の人々。ファリサイ派の人々は 「霊 天使 復活」を信じていたけれど,サドカイ派の人々はこれを否定していた。サドカイとは ダビデ時代の大祭司ツァドクからとられたもの その子孫だという人々もいれば 「正しい」という意味から名付けられたという人々もいる。

エルサレムに入ったイエスは こうして 命を狙われる事となる。

それまで対立し 仲の悪かったファリサイ派(+律法主義者)とサドカイ派も 敵をイエスとして協力しあった。もちろん 商売の邪魔をされた商売人らも 彼らに雇われているならず者らも一致団結。

ところが イエスは神の聖霊とともにいたため 彼らが勝ることはなかった。

そして今回 この箇所でも 命じられてやってきた律法学者に みずから言わせた。 

何が最も重要な掟か

心を尽くして

知恵を尽くして

力を尽くして

神を愛すること

心をつくし 霊をつくし 神の事を第一に考える, 神がお与えになった掟が何より大事と言い人にもそうしろと厳しくするなら

神殿でぎゃーぎゃー商売をさせているのはどういった了見なのか。そこで商売するために 商売人たちにどんな条件を与えていたのか。今でいう賄賂もあったのかもしれないね。運び込まれた 鳩やら何やらは どうやって手に入れてきたのかな。もしかしたら 盗んできたもの 脅して手に入れてきたものもあるのかな?神様にしかわからないね。

第二の掟は

「隣人を自分のように愛する」

「これらは どんな焼き尽くす献げものよりも大切です」

お偉い方々に命じられてやってきた律法学者は イエスにそう言った。

 実際は 焼き尽くす献げものを境内で売買し 献げものがなければ神殿にお参りさせない。つまり強制。そこで売っている鳩や羊やら何やらかにやらを 両替し 購入し 持参しないと お祈りができない という。

異邦人の席をわけ 身分の低い者は見下され 汚れた者とされたもの 献げものを買えない貧しいものたちは道端に置かれ。

さらには

ユダヤ教徒のユダヤ人にあり 長老らが我が子と言うべき同じ民族であり 兄弟であるイエスを殺そうと謀っているのだ。

そのためにこの律法学者は,イエスのところに行けと言われてやってきたのだ。神に仕えているという祭司長らに。

おそらくこの頃はそのように,簡単に人を十字架につけ 石打ちにすることが 常態化していたのだろう。

神に遣える身でありながら

それを生業としていながら。

神殿の中心にいながら

神殿の住人でありながら

いつも神殿にいながら

神とは最も遠くにいた人々。

そこに神は イエスを派遣した。

今日は そんな場面でした。

恵みあふれる聖マリア

主はあなたとともにおられます

主はあなたを選び祝福し

あなたの子 イエスも祝福されています

神の母聖マリア

罪深い私たちのために

今も死を迎える時も

神に祈ってください アーメン

盲人を癒す

父と子と聖霊の御名によりて アーメン

年間30日主日B年

マルコによる福音30章46〜

 一行はエリコの町についた。

イエスと イエスを信じる人々は
カファルナウムをたち
ユダヤ地方ヨルダン川の向こうに側に行き,
エルサレムに上る途中 エリコの町に着いた
イエスと群衆がエリコを出て行こうとされたとき,
盲人が叫び出す

イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に,エリコを出て行こうとされたとき ティマイの子で,バルティマイという盲人の物乞いが道端に座っていた。

ナザレのイエスだと聞くと,叫んで,

「ダビデの子イエスよ,私を憐んでください」

と言いはじめた。

多くの人々が叱りつけ黙らせようとしたが,彼はますます,「ダビデの子よ わたしを憐んでください」と 叫び続けた。

イエスは立ち止まって

「あの男を呼んできなさい」

と言われた。

人々は盲人を呼んで言った。

「安心しなさい 立ちなさい お呼びだ」

盲人は上着を脱ぎ捨て

踊り上がってイエスのところに来た。

イエスは,

「何をして欲しいのか」

と言われた。

盲人は

「先生,目が見えるようになりたいのです」

と言った。

そこで,イエスは言われた。

「行きなさい あなたの信仰があなたを救った」

盲人は すぐに見えるようになり

なお道を進まれるイエスに従った。

ー黙想ー

まず,秋篠宮紀子さまのお父様の

ご冥福をお祈りいたします。

その霊魂が

天国で安らかでありますように

さて,

この箇所についてですが,マタイによる福音とルカによる福音,そしてこのマルコによる福音,福音記者により微妙に違います。

イエス様の生前の活動を記された記録は たくさん山のようにあって 発見された場所も 順番もバラバラだったと聞いた事がある。

そして 初代教会の弟子と信者らにより編集された聖書が 今もそのまま 世界中のベストセラーとなっている。

ん?待てよ?ちょっと自信ないな。初代教会よりずっとあとだったっけ?聖書は。

とにかく 神と人との決定的な出会いの記録 それが聖書。

本来 聖書は一つなのだが,後々になって モルモン教 統一教会 エホバなど さまざまなプロテスタント そのほかの共同体によって 独自のものがつくられた。

さらに 各々の言語によって 訳す時 それはそれは生命を削るほどの苦労によってなされた。それは時代によって 大役を任された人々の証言によって知る事ができる。数年ごとに行われる学校教科書の改訂以上の圧力 圧迫が 方々からある。

2021年はB年とされ 世界中の教会はマルコによる福音書を味わう年。

マルコ福音記者は,異邦人の改宗者に向けて書かれたものと言われている。当時,もともとユダヤ人でもユダヤ教徒でもない人々に向けたもの と言われている。

マタイ福音記者は,ユダヤ教からキリスト教に改宗した人々に向けて。土着民と言ったらピンと来るかな?

ルカ福音記者は医者だったそうだが ルカによる福音書と使徒言行録(イエス亡き後の事が記録されている)を記録した記者でもある。

ルカは 華やいだギリシア文化に染まった人々に,イエスの救いはユダヤ人だけではなく 地上にいる全ての人々にもたらされたものである事,特に 弱い者 小さい者 罪人にイエスが向き合い語る場面を伝えている。

さらにルカは,イエスが,権力者らとその手下たち残酷な血に飢えた傍観者らによって十字架にかけられる、そして 三日目に復活する。そのために イエスがエルサレムに向かって旅をする姿を記している。

使徒言行録ではさらに,教会の誕生 成り立ち 弟子たちと 新たにユダヤ教徒エリートのパウロも加わり,エルサレム サマリア シリア ギリシア ローマにまで広がる様子が描かれている。

ヨハネ福音記者は,イエスのことばと行いが丁寧に 詳細に記されている。これはわたしの印象なのだけれど,例えばほかの福音記者が箇条書きだとすれば ヨハネはそれらに肉と霊を加えた というのかな。幻想的な霊的な要素を感じる。イエスは 神の独り子である確信を伝えている。ルカは 現実的だけれど 箇条書きよりは詳細で ヨハネ福音書ほど霊的ではない,そんな印象がある。

【マタイ20章29】では,二人の盲人となっている。そしてイエスは深く憐れみ その目に触れる。

【ルカ18章35】では,ある盲人が道端に座って物乞いをしていた。叫び続ける盲人を先に行く人々が叱りつけ黙らせようとする。するとますます叫び続ける盲人が記されている。

マタイでは イエスが「二人の盲人」に触れることによって癒される様子。ルカでは イエスの言葉だけでたちまち見えるようになった「ある盲人」の様子が記されている。

さて B年マルコ福音記者はというと,

「ティマイの子でバルティマイ」と 極めて具体的な対象を記した。現代風に言えば「〇〇さんとこの息子の〇〇君」とかそんな感じ。

ユダヤ社会のユダヤ教徒の人々は 日本の田舎にもまだあるように,どこそこの息子のなにがし 誰それの娘のなにがし さらに遡って先祖の先祖の果てまで名前を言う。

マルコを読むと そうしたところに生まれ育った人々(弟子たちも含め)の文化風習生活様式との関連が とてもよくわかる。

「ティマイの子でバルティマイという盲人の物乞い」は 道端に座っていた。

「ナザレ村のイエス」だと聞くと「ダビデの子 イエスよ わたしを憐んでください」と「言いはじめた」

人々はこの盲人を黙らせようとした。

しかし盲人はますます「叫び続け」る。

その声は f < ff フォルテからフォルテッシモに。クレッシェンド ね。

 ユダヤ社会 今はどうか知らないけれど,当時は 律法学者をはじめ モーセがイスラエル共同体をまとめるために神とともに建てた数々の掟や規定を細々厳密に守って生きていた。とは言っても 実際それを細々守って生きられるのはごく少数の恵まれた人々だったろう。実際 彼らとて守りきっていたかといえば どうかな。

そして こうした障害や病気を患った人は 汚れた者 罪の結果によるもの などと思われ言われ 人々は近寄らなかった。律法には そうしたものに触れたり近寄ったものは あれをしてこれをしてそうしてああして それは何日間でと 身を清めなくてはいけない など さまざまな規定に縛られていた。(精神の障害と思われる人には 聖書では悪霊に取り憑かれたものとされている。エクソシストはまさにそれ。悪魔祓いは 教皇庁の許可を得たその資格のあるものしか許されていない。プロテスタントやカルトでは信者同士で行っているとの事です)

人々が叱りつけ 黙らせようとするのには ただうるさいから だけではなかったのだ。

ところがイエスは この叫び続ける盲人に マタイでは触れている。

この

救いを本気で求めるしつこさ

信じる強さ

ひたむきさ

イエスは足を止める

おそらくそれまでバルティマイは,みんなから避けられて生きてきた。災いを避けるように。人から声をかけられる 呼ばれる なんて事はなかっただろう。人々が道を通る時は 彼を忌み嫌い 避けて離れて歩いただろう。そして彼は道端に追いやられて生活をしていた。人々に叱りつけられ 罵倒され 無視される事に すっかり慣れてしまっていた。

そして今 噂に聞くイエス。

きっとこの人なら 真っ暗闇の孤独な世界から救ってくれる そして信じた。

彼は 呼ばれたと聞いただけで 踊り上がって喜んだ。まさに歓喜した。

「なにをして欲しいのか」

「目が見えるようになりたいのです」

「行きなさい あなたの信仰があなたを救った」

「行きなさい」と イエスに言われたにも関わらず,目が見えるようになったバルティマイは,イエスに従ってその旅に同行した。

生きなさい

恵みあふれる聖マリア

主はあなたとともにおられます

あなたは女のうちで祝福され

あなたの子 イエズスも祝福されています

神の母 聖マリア

罪深い私たちのために

今も 死を迎える時も

神に祈ってください  アーメン

そしてわたしがこの箇所でいつも思い出すのは,

わたしの母親らがまだ子どもの頃 よく盲人や物乞いが来ては 玄関先で三味線を弾いたり,食を求める人がいた話。昔はそうして 家々を回って歩く人たちがいたそうだ。今は セールスや詐欺師や新興宗教・カルトの勧誘 放置子が家々を巡り歩いている。

祖父は 「うるせーっ」と怒鳴って追い返した。

祖母は,小銭や,おむすびを握って持たせてやった。

そんな話

メルキゼデクの祭司職

父と子と聖霊の御名によりて アーメン

年間31主日B年

ヘブライ人への手紙7章

 このメルキゼデクはサレムの王であり,いと高き神の祭司でしたが,王たちを滅ぼして戻ってきたアブラハムをで迎えて,そして祝福しました。

 アブラハムは,メルキゼデクに全てのものの十分の一を分け与えました。

メルキゼデクという名の意味はまず 「義の王」,次に「サレムの王」,つまり「平和の王」です。

彼には父もなく,母もなく,系図もなく,また,生涯の初めもなく,命の終わりもなく,神の子に似たものであって,永遠に祭司です。

 この人がどんなに偉大であったかを考えてみなさい。

族長であるアブラハムでさえ,最上の戦利品の中から十分の一を献げたのです。

ところで,レビの子らの中で祭司の職を受ける者は,同じアブラハムの子孫であるにもかかわらず,彼らの兄弟である民から十分の一を取るように,律法によって命じられています。

※ レビ人・・・族長の一人 レビの子孫で祭司階級。そのうち 祭司がレビ族のアロンの子孫に限定されるようになった。それからは,アロンの子孫である祭司より,レビ族の人々は下位となり,宗教的公務を果たす階級となる。

神殿での奉仕,民の教育を担う。土地は与えられず,町に分散して住み,その町の他の部族の人から農作物と家畜の十分の一を受けて生活していた。

例えだけど,アロンの子孫が,日本で言えば祭司職を司るものの頂点の天皇,レビ族が,戦前戦中 昭和初期までの 寺の和尚とか 神主 お坊さんみたいな役割,そしてその子ども 孫 子孫がそれを受け継ぎ継承していく,と言えばわかるかな。※

ところで,

レビ族の子らの中で,祭司の職を受ける者は,同じアブラハムの子孫であるにも関わらず,彼らの兄弟である民から十分の一をとるように,律法によって命じられています。

それなのに,レビ族の血統以外の者が,アブラハムから十分の一を受け取って,約束を受けている者を祝福されたのです。

さて,下の者が上の者から祝福を受けるのは当然のことです。

ところで,もし,レビの系統の祭司制度によって,人が完全な状態に達する事ができたとすれば➖というのは,民は祭司制度によって律法を与えられているのですから➖いったいどうして,アロンと同じ祭司職ではなく,メルキゼデクと同じような別の祭司が立てられる必要があるでしょう。

祭司職に変更があれば,律法にも必ず変更があるはずはずです。

このように言われている方は,誰も祭壇の奉仕に携わった事のない他の部族に属しておられます。

というのは,私たちの主がユダ族出身である事は明らかですが,

この部族についてモーセは,祭司に関する事を何一つ述べていないからです。

この事は,メルキゼデクと同じような別の祭司が立てられた事によって,ますます明らかです。

 この祭司は,肉の掟の律法によらず,朽ちる事のない命の力によってたてられたのです。

何故なら,「あなたこそ永遠に,メルキゼデクと同じような祭司である」と証しされているからです。

その結果,一方では以前の掟が,弱く無益なため廃止されました。

➖律法が何一つ完全なものにしなかったのです➖

しかし他方では,もっと優れた希望がもたらされました。私たちはこの希望によって 神に近づくのです。

 また これは誓いによらないで行われたのではありません。

レビの系統の祭司たちは誓いによらないで祭司になっているのですが,

このかたは,誓いによって祭司となられたのです。

神はこのかたに対してこう言われました。

「主はこう誓われ その御心を変えられることはない。『あなたこそ、永遠に祭司である』」

 このようにして イエスはいっそう優れた契約の保証となられたのです。

また,レビ族の系統の祭司たちの場合には,死というものがあるので,務めをいつまでも続ける事が出来ず,多くの人たちが祭司を任命されました。

しかし,イエスは永遠に生きているので,変わる事のない祭司職をもっておられるのです。

それでまた,このかたは常に生きていて,人々のために執りなしておられるので,ご自分を通して,神に近づく人たちを 完全に救う事がおできになります。

 このように,聖であり,罪なく,汚れなく,罪人から離され,諸々の天よりも高くされている大祭司こそ,私たちとって必要な方なのです。

このかたは,他の大祭司のように,まず自分のために,次に民の罪のために毎日いけにえを献げる必要はありません。

というのは,このいけにえはただ一度,ご自身を献げる事によって,成し遂げられたからです。

律法は 弱さを持った人間を大祭司に任命しますが,律法の後になされた誓いの御言葉は,永遠に完全な者とされておられる御子を大祭司としたのです。

ー黙想ー

この箇所は,ユダヤ教のエリートだったパウロが回心して,イエスを主と認め,十字架につけられて死に葬られたイエスが復活し 今なお生きている そして あらゆる地上の祭司らよりも優れており,高いところにおられる方なのだと皆に教えている場面。

果たして,パウロのこの説教を 当時 何人の人がその場で理解していたのだろう。

イエスの聖霊を受けている人々 信者らには理解できただろう。それは 真実だから。聖霊を通し 秘蹟を通し 働いておられるのを知っているから。

それは2021年の今なお,そしてこれからも永遠に在り続ける 尽きる事のない泉のようなもの。

 ところでここにたびたび出てくる「律法」について。律法とは イエスが生まれるはるか昔 モーセの時代に遡る。

神が人類に与えた愛 神の意志による教えと戒めのこと。神や他人に対する義務を規定したもの。

そして 厳しい罰があった

十戒(十のことば・モーセの十戒)

そのうちの

6 殺してはならない

7 姦淫してはならない

8 盗んではならない

9 隣人に関して偽証してはならない

10 隣人の家を欲してはならない 隣人の妻,男女の奴隷,牛,ろばなど,隣人のものを一切欲してはならない

昔 宣教時代,これらを受け入れられない殿 領主 親方 大地主らは ならず者らを使いキリストを迫害した。また 宣教師 信者らを迫害した。

多分,全部心当たりがあったんだね。まずいよね そんな掟。そんなものを広めたら立つ背がない 赤っぱち その地で偉い者のはずの自分が 罪人にされてしまう。そりゃあ 慌てたよね。

何か思い違いをしていたようだ。すでにキリストもパウロも 人間は弱さをまとい 罪から離れるのは難しい事と知っており それを皆にも話していた。完全で完璧なのは イエスで十分であり 神の子イエスだからこそ可能だったのだ。

戒めは 人を縛るためのものではなく 人を自由にするものだ。罪を犯さぬように 犯してしまったのなら赦しを乞い願い 回心しなさい というもの。

例えば,「いじめなど起きない」ではなく,そもそも「人が集まればいじめは起こりうるもの」といえばわかるかな。人間に完璧な神のようなものを求めてはいない。むしろ 愚かで すぐに罪を犯す者なのだ。だからこそ 戒めを置く。

そんなはずの 掟だった。この十戒がなかったならどうだろう?

おそらく 争いは絶える事がなかっただろう。本来 それを避けるために 神が人類に与えた愛だった。

それなのに,いつの間にかそれは 罰 が主役になった。報復を正当化するものに 血を血であらう 人間を堂々と殺すために,隠蔽のために リンチを正当化するために そうしたいがために 残酷を正当化するために,

あとの人間らによって変えられてしまった。それは今なお 旧約の世界には在る。

そこにイエスが天から派遣されてきたのだ。

そして彼は祭司職の家系・アロンのレビ族の部族ではなかった。

パウロが言っているのは,モーセに与えられた過去の律法は完全ではなかった。何故なら 人間によって変えられるものだったから。誤った 自分勝手な使われ方がなされるようになってしまったから。

そのため レビ族の祭司職の家系ではない

イエスという大祭司によって 新たにされたのだ という事。

そして諸々の祭司職を司る者たちの中で 最も 上にいる方なのだとという事。地上の部族など 関係なく。

地上で祭司職をしている者たちはいつか時がくれば死ぬ。しかしイエスは 聖霊を通し いつまでも永遠に生き続け 肉体はなくとも 霊の働きによって 大祭司として働いておられるという事。

そしてわたしは,他の国や,違うキリスト教共同体を知らない。多分 かなり違う。

同じキリストを信じる者でも,日本人と彼らの手法、考え方、宣教方法は かなり乖離している のかもしれない。

恵みあふれる聖マリア

主はあなたとともにおられます

あなたは女のうちで祝福され

あなたの子 イエスも祝福されています

神の母聖マリア

罪深い私たちのために

今も死を迎える時も

神に祈ってください アーメン

ー長い長い道のりー希望を捨てずー

唯一の主

父と子と聖霊の御名によりて アーメン

年間31主日B年

申命記6章4

我らの神 主は唯一の主である

あなたは心を尽くし 魂を尽くし

力を尽くして あなたの神 主を愛しなさい

 ー黙想ー

2021年10月26日 月曜日、

窓のすぐそこで 鳥が全力で鳴き続けているではないか。それはかれこれ10分以上続いた。

「起きろ 起きろ‼︎」

そんな感じ

寝てたんですけどね、

前の晩遅く寝て 朝早く起きたから。

あんまりしつこく うるさいものだから 仕方なく時計を見たら14時10分すぎ。

立ち上がって 窓を開けたら すぐ目の前に15㎝ほどの黒っぽい鳥がいるではないか。鶯を黒くしたような、あれはなんという鳥だろう・・・

目があったら 飛んでいってしまった。

そうか、

眞子様の結婚会見だったのか。

テレビは観なかったけれども、あとで記事を読んだ。

つまり、

天皇一族の分家の長女が、

恋人に 海外留学するようにお願いした というものだった。

皇族であり 日本のピラミッドの最上位にある一族、次の天皇となられるかもしれないと言われていた男子がひかえたお家の姫。

そこで、この男は、「はい わかりました」

奥野さんという弁護士が、個人なのか事務所の経費なのかわからないけれど この男の支援をする事になった。

渡航費用 生活費 学習にかかる雑費 数年間金銭援助をしてきたらしい。

この男への投資なのか 融資なのか 奥野さんの帳簿がどうなっているのかはわからない

「無期限」の貸し付け 今後も支援を続けると 奥野さんは言っているが、

この男は「いつかは返済しないといけない金」だと 認識しているのだろうか。

まさかこの男も あの母親と同じように、

「支援してもらった金で返済する必要はない」

と 思っていたのかな?

いやいや お姫様のご命令で人生を変えたのだから お姫さまが支払うべき って考えかな?

いずれにしても、

あの母親とこの新婚夫婦2人の警備は、早速解散し その分を日本の子どもたちの安全と教育のために回していただきたいものです。安心して 親が働けるように。

婚約会見に関する記事は、

SoftBank Yahooと中国共産党は 完全擁護。

天皇陛下公務の記事に 秋篠宮家の画像を載せるくらいですから。

あ、そうそう、

あの男が世話になったのは、ヒラリークリントンの大学。

そして 彼は司法試験に落ちた。

アメリカ合衆国の🇺🇸

正義⚖️平等に満たなかった

という審判が下された。

眞子さんは 大事な事を知らない

アメリカ合衆国という国は、どんな人でもwelcomeであると同時に、実力主義であり、愛国心のない人間を軽蔑し、信用しない国でもある。

2021年11月1日(月曜日)大安 記

偉大な大祭司イエスー❷

父と子と聖霊の御名によりて アーメン

年間30主日B年

ヘブライ人への手紙5章1〜

 大祭司は全ての人間の中から選ばれ、罪のための供え物やいけにえを献げるよう、人々のために神に仕える職に任命されています。

大祭司は、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な人、迷っている人を思いやる事ができるのです。

また、その弱さゆえに、民のためだけではなく、自分自身のためにも、罪の贖いのために供え物を献げねばなりません。

また、この光栄ある任務を、誰も自分で得るのではなく、アロンもそうであったように、神から召されて受けるのです。

 同じようにキリストも、大祭司となる栄誉をご自分で得たのではなく、

「あなたはわたしの子、

わたしは今日、あなたを産んだ」

と言われる方が、それをお与えになったのです。また、神は他の箇所で、

「あなたこそ永遠に、メルキゼデクと同じような祭司である」

と言われています。

キリストは、肉において生きておられた時、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、ご自分を死から救う力のある方に、祈りと願いを捧げ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。

キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。

そして、完全な者となられたので、ご自分に従順である全ての人々に対して、永遠の救いの源となり、神からメルキゼデクと同じような大祭司と呼ばれたのです。

ー黙想ー

まずはじめに、

この手紙の主は聖パウロとされています。このパウロは元々サウロという名前で、ユダヤ教のエリート中のエリートだった人物。イエスを信じる者たちを片っぱしから捜し出し 暴力 殺害 迫害 一掃しようと熱意に燃えた人物だった。おそらく そのままなら、ユダヤ教のスーパーエリートとして 生涯安泰、彼らの歴史書にも名を連ねたであろう人物。

そのパウロに 神は直接触れた

「サウロ サウロ 何故わたしを迫害するのか」

イエスを信じる者たちを迫害するということは、神を迫害するということ。

イエスを信じる者たちを殺すということは、神を殺すということ。

神を拒絶し 神を失う事なのだ。

何故 神はこのパウロを選んだのか。

まず、キリストを信じる者たちに対する暴力 殺人をやめさせる事、そして、このパウロ自身の暴力,殺人という大罪をこれ以上犯させないため。

「殺すな」

神は旧約の時代 そしてモーセの時代から 一貫している。アダムの子、カインがアベルを殺した時の神の深い深い哀しみ 怒り。

神は、残酷が満ちた地上に キリストの教え 神の願いを広めるために、小さな群れを護り 世界に広げなくてはならなかった。

パウロは非常に優れた教育を受け育った。さまざまな知識にたけ、儀式 組織にも精通している優れたタラントを持つ人だった。

神が この人を必要とし 選んだのだ。

そしてここでもう一つ私が言っておきたいのは、この箇所に出てくる「犠牲」について。

旧約ではたびたび、動物を犠牲としてお献げする場面が出てくる。

キリスト教では、すでにそうした献げ物も儀式もない。何故なら、イエスがご自身をお捧げし すでに 御復活したのだから 生き物の犠牲やそれを献げる儀式など全く必要ないのだ。

そうした動物などの捧げ物は神にも 人間にも必要ない。むしろ神が望むのは、そして人間に必要なのは、イエスの教えにある。

それを信じているのが キリスト教徒。

旧約の時代の、生き物の献げものだの犠牲は、キリスト以降 パンを割くこと 集まること ともに祈る事 時儀にそって適切な断食をしたり 祈願のためにいっとき何かを我慢する などに変わった。実際 それで充分なのだ。

そしてこのパウロによって、キリストを信じる小さな群れは教会となっていった。

神が選んだ器のパウロだからこそ それができた。主がともに働いていたのだ。

そして それまでのユダヤ社会で執り行われていた犠牲や生贄の儀式は、ミサの祭儀に代わった。

「わたしが求めるのはあわれみであって、

いけにえではない 行って学びなさいー」

マタイ9・13

恵みあふれる聖マリア

主はあなたとともにおられます

主はあなたを選び祝福し

あなたの子イエズスも祝福されています

神の母聖マリア

罪深い私たちのために

今も死を迎える時も

神に祈ってください  アーメン

私ね 何が嫌かって、祈りが度々変わるのよ。単語やら何やら。その度に 祈りを覚え直すの。大量の印刷代と紙を使って 教会が信者から集めた金で買ってるのよ 多分ね。そうではない 無料で配られているにしても、大量の印刷も紙も無料ではないでしょ?結局は信者から集めたお金なのよ 語句一つ 文一つ変えるために。信者は、やっすい賃金で働いて もしくは働けない人も多い。なけなしの月給から 教会費を払っているの。そして 教会を維持運営するのには とてもお金がかかるの。それはどこも一緒でしょ?常に 「予算がない」どこもかしこも。

使い所間違っているのよ

なんだろうね 大日本印刷所や紙会社 そしてそれらの株主のために 学校も 役所も 教会も 国民もあるわけじゃないんだけど。

彼らでしょ?日本のデジタル化を阻止してきたのは。

そして 子どもたちに重い重い荷物を 毎日背負わせてきたのは。

黙っていれば調子にのって どんどん重くしやがって

暇な人たちが 右のものを左に 左のものを右に 単語を並べ替えたり 文書を変えたり。

星の王子さまにはすでに 役人や官僚 お偉い暇人が毎日毎日 どんなにつまらない事をしているか種明かしされてたね。

そして彼らは常に混乱し 常に忙しい。忙しくしていないと死ぬのかしら。とにかく 必死で忙しいふりをしているの 特に役に立つこともない事をして。

あ 日本の場合は 忙しいふりをした暇な議員らがそうさせて、役所の偉い人が 下っ端、手下らをこき使って 異常に忙しくさせてるのよ。金も人も必要なものも与えないで。だからほら 心を亡くした人が多いでしょ?

王子さまがそんなつまらない人たちの中でも感心したのは、毎日毎日 来る日も来る日も 街灯を決まった時間につけては決まった時間に消す。そして綺麗にする。(記憶違いだったらごめんね 今度読んでみてよ)そんな彼とその仕事だけには 感心した。違った?

実際 本当に人々の役に立つ 人々の為になる

本当に必要な仕事をしているのは

こうした人たちだからね

エレミア書

31章7-9

年間30主日B年

父と子と聖霊の御名によりて アーメン

主はこう言われる

ヤコブのために喜び歌い、喜び祝え

諸国の頭のために叫びをあげよ

声を響かせ 賛美せよ

そして言え

「主よ、あなたの民をお救いください イスラエルの残りの者を」

見よ わたしは彼らを北の国から連れ戻し

地の果てから呼び集める

その中には 目の見えない人も

歩けない人も

身ごもっている女も 臨月の女も共にいる

彼らは大いなる会衆となって帰ってくる

彼らは泣きながら帰ってくる

わたしは彼らを慰めながら導き

流れに沿って行かせる

彼らは真っ直ぐな道を行き

つまずくことはない

わたしはイスラエルの父となり

エフライムはわたしの長子となる

ー黙想ー

さて 神さま、北朝鮮に拉致された子どもたちを あなたは取り戻して下さらなかった

昭和天皇から始まって 平成天皇 令和天皇、

なかなか難しいですね。

ー拉致ー

無理やり自由を奪い連れ去る そして監禁

これほど残酷な事がありますかね。しかも 抵抗できない子どもたち。(子どもたちとは大人も含めて日本という国の子どもたち という意味ね。神さまが人間たちを子どもたち というのと一緒の意味よ)

それで、無神論の彼らはさらに勢いを増す

神さまを信じない人が増えるから。

神に何ができようか と。

救けをえられなかった人々の多くもそう思うだろう。

あなたに祈っても無駄な姿を見た人々も あざけるだろう。

 幼い日々 カトリック校でいじめを受け 嘲笑され 誰からも救けを得られない毎日を学校で過ごしたアインシュタインは 孤独な毎日のおかげで むしろ学業に集中、専念できた。

その後彼は、当時のアメリカ民主党大統領に カトリック総本山の長崎に、原爆投下を進言した。アメリカと英国はプロテスタントの国だ。

革命 ヨーロッパ戦争、当時の彼らにとって日は浅く そのわだかまり 奪い合いはまだまだ続いていたのだ。

ー原爆投下ー

戦争は終わった

そして彼の戦争も終わった。

先進国のあふれるほどの電気のゴミも処理された。

女と酒が大好きで 強いものには媚び 弱い抵抗できない者たちには強いならず者(もちろん 女も男も酒も遊びも大好きで 強い者にも媚びず 弱い者たちには優しい者たちもいる)

当時の彼らは、貧しく 学もなく 粗野で乱暴 格好いいものに憧れてはその制服欲しさに良心を売り渡し(いや、元々良心などなかった?いやいや人間には必ずそれが備わって生まれてくる 誰しも。けれども そのほんの小さなそれの成長を妨げられていたのだろう 育てる気のない教育者と言われる人たちに、そして長年 政権につき予算を右から左 左から右に動かす人たちによって さらにそんな政権をつくった人たちによって)

そんな人々にとって神は都合が悪く邪魔な存在でしかない

「そうだ 神などいない事にしてしまおう そしたらなにをやったって咎められることも 呵責に苦しむ事もない 良心など棄ててしまえ」

脳の未発達 アルコール 麻薬 ヤク物 洗脳がそれらを加速する

➖神などいない➖

➖そんなものいるわけない➖クスクスニヤニヤ

すみれをかつて学校でいじめていた子も 毎日すみれにそれを言い聞かせていた

二人だけの時も、私の目の前でも 幾度となくそれを繰り返した

すみれが抵抗・抗議すると 途端に怖い目で睨み無視をする

それは毎日続いた

すみれにとってそれは 天地がひっくり返るほどの事だった

➖神さまって本当にいるのかな?➖

➖神さまなんかいない➖

それはいいんだよ 誰しも通る道だから。

そして彼ら彼女らは 大成功をおさめた。

そうした若者たちを育てできた人々、利用する連中は それをよしとする。彼らからの人気も得られる。銃口は他に向けさせて。

組織 集団に適応できない者は消す

そうして育てられた者たちに、

追われ 隠れ 乱暴に捕らえられ、

暴力を受け 痩せ 病み 殺されていく人々

逃げ場もなく 救けも得られない人々

アインシュタインは、当時のユダヤ人たちに

幼い頃の自分を見たのかもしれない

さて神さま、あなたはどう思われますか?

あの時代を なにに例えたらいいのだろう

そうだ、今がまさにそうだ。

繰り返す 繰り返す

幼稚園 保育園 学校では 暴力をふるう いじめをする児童をしっかり監視する人員が必要だね。

被害を受ける子たちのためにはもちろん、そうした行動を止めさせる教育 または医療 福祉がないと。足りないなら補充してでも。

たいてい、自分の手取りが減らされるのが嫌、好き勝手できなくなる。そんな職員や長が反対する。

彼らの収入をあてにしている者たちも反対する。

あなたの報酬を少し減らしたら?

「一回人を雇ってしまったら 簡単に辞めさせられないんだよ?」「人件費 一人にいくらかかると思う?毎年あげなきゃいけなくなるし」「最近は労基がうるさいし」

いじめや暴力を奮う子をそのまんまで追い出しても、いじめを受けている子を追い出しても

彼らは何の責任も負わない

呵責もない

むしろスッキリする

荷が軽くなる

そして その身分も財産も守られる

他人が被害を受けても 園や学校が怨まれても 彼らには関係ないのだから。黙らせさえすれば。

教育など とっくの昔に放棄してしまった

それは職場でもそうだ。

「本人の都合」で 辞める、そうじゃないと困る。

ブラック?いじめ?パワハラ?セクハラ?

とんでもない。

慇懃無礼に腰を低く、「現場でのそんな事は聞いてない 知らない」証拠は?

あくまでも 現場が勝手に。本人が。

企業 役所 学校、長い安倍政権の間、みんなこうなってしまった。実際、礼賛者は多い。組織をまとめる上で 人を操る上で ヒットラー政権を研究 真似る者たちも増えた。

まるでかつてのSS隊や青年隊と同じような黙らせ隊の存在も。

「隊」という字は「豚」に似ている。外国人なら見分けがつかないね。

それは続くのだろうか

彼らを変えることなどできないのだから

神さま あなたなら変えられますでしょ?

今からでも。

御心なら。

それとも 彼らを頑なにしているのは

あなたのご計画のうちなのですか?

恵みあふれる聖マリア

主はあなたとともにおられます

主はあなたを選び祝福し

あなたの子イエズスも祝福しておられます

神の母聖マリア

罪深い私たちのために

今も死を迎える時も

祈ってください  アーメン