神は我々とともに

マタイによる福音 1:18-24


イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。

夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。

「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。

この子は自分の民を罪から救うからである。」

このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。


「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」


この名は、

「神は我々と共におられる」という意味である。

ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れた




2022年前の今、

寒空の中、

ヨセフと身重のマリアは宿を探して歩いていた。

ユダヤ教の掟には、結婚前に妊娠することは許されない事だった。

ましてヨセフは当時14か15歳のマリアの婚約者であったけれど、マリアを知る前に妊娠されたという事は、マリアは姦通の罪を冒したのであろうと皆が思う。つまり、石打ちの刑 死刑になるのだ。

敬虔なユダヤ教徒であったヨセフとて、夢で主の天使に告げられなければ、密かに縁を切るつもりでいた。

旧約の預言の通りの事が起きたのだ。

ヨセフは行くあてもないまま、マリアを連れ旅に出た。

やっと見つかった宿はたった一軒。

憐れに思った宿屋の女主人が、馬小屋を貸してくれた。イエスは、旧約の社会では➖汚れた者➖とされていた動物たちに見守られ、イエスを生んだ。

星を頼りに探し当てた博士らも 祝いに来た。

おめでとう マリア

貴女は女のうちで祝福された者

新しい 西暦がそこからはじまった。

そして現在にいたる。

地上のすべての人々が祝福される

父と子と聖霊の御名によりて アーメン

死からの復活

ローマの教会への手紙 1:1-7


キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから、(兄弟の皆さんへ。)

――この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、御子に関するものです。

御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。

この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。

わたしたちはこの方により、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒とされました。

この異邦人の中に、イエス・キリストのものとなるように召されたあなたがたもいるのです。

――神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ。

わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。




父と 子と 聖霊の御名によりて アーメン

主を試すようなことはしない

第一朗読  イザヤの預言 7:10-14


(その日、)主は更にアハズに向かって言われた。「主なるあなたの神に、しるしを求めよ。

深く陰府の方に、あるいは高く天の方に。」

しかし、アハズは言った。

「わたしは求めない。主を試すようなことはしない。」イザヤは言った。


「ダビデの家よ聞け。あなたたちは人間に、もどかしい思いをさせるだけでは足りず、わたしの神にも、もどかしい思いをさせるのか。

それゆえ、わたしの主が御自ら、あなたたちにしるしを与えられる。


見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。」




主の平和が 

あなたにも 私にも

ヨハネとイエス

マタイによる福音 11:2-11


(そのとき、)ヨハネは牢の中で、キリストのなさったことを聞いた。

そこで、自分の弟子たちを送って、尋ねさせた。「来るべき方は、あなたでしょうか。

それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」イエスはお答えになった。

「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。

目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。

わたしにつまずかない人は幸いである。」

ヨハネの弟子たちが帰ると、イエスは群衆にヨハネについて話し始められた。

「あなたがたは、何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か。では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か。しなやかな服を着た人なら王宮にいる。では、何を見に行ったのか。預言者か。そうだ。言っておく。預言者以上の者である。
『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの前に道を準備させよう』


と書いてあるのは、この人のことだ。はっきり言っておく。

およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。

しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。」




洗礼者ヨハネは、神を真に理解していた。

「違う」「違う」「神の望みはそうではない」

当時の社会にあって、ヨハネは忸怩たる思いでいたのでしょう。

きっといつか救い主が現れる

あきらめては希望し、希望してはあきらめの繰り返しだったのかもしれない。

旧約の時代に終わりを告げる叫び、

新しい時代の到来を告げる叫び。

信じた洗礼者ヨハネは救い主を見る事ができた。

その人は

軍隊も持たず、誰をも束縛せず、圧迫せず、殺しもしなかった。

為政者・権力者らに都合のいい解釈、

神や神殿の間違った利用、

弱った者を放置し、見捨て、

強めない

生かさない

むしろ自分たちの利にならぬ者として

社会から排除、

それを咎めたイエス。

呼びかけたイエス。

答えたイエス。

➖気に入らない➖

彼らはそうして なんの罪もない

救い主を十字架にかけた。

彼らは彼らが突き刺した者を見た。

そしてそれを正当化してきた。

それまでも、どれほど多くの人々が、

「神の名」の悪用のもとに、

神の掟 モーセの律法 を免罪符とし、悪用し、誤用し、不正に利用し、神の愛や憐れみを脇へ追いやってきたか。

それをイエスは当時の人々に問うた。

教えた。

そして

聖霊となって、今なお生き続けているイエス。

人間にすぎない私は

「主よ 憐れみたまえ」

それ以外、何が言えよう

父と子と聖霊の御名によりて アーメン

辛抱と忍耐

ヤコブの手紙 5:7-10


兄弟たち、主が来られるときまで忍耐しなさい。

農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待つのです。

あなたがたも忍耐しなさい。

心を固く保ちなさい。

主が来られる時が迫っているからです。

兄弟たち、裁きを受けないようにするためには、互いに不平を言わぬことです。

裁く方が戸口に立っておられます。

兄弟たち、主の名によって語った預言者たちを、辛抱と忍耐の模範としなさい




父と子と聖霊の御名によりて アーメン

イスラム教は、キリストを預言者としている。

ユダヤ教にとってイエスは異端者 反逆者。

世界中、聖書を勝手に解釈する、権力も地位も資金も手下部下もたくさんいる者らが、「神は信じないけれど」聖書に出てくる災難を 自分たちの力でおこし、信者 彼らにすれば奴隷のようなものを増やそうとする。

同じキリストを信じる者たちによっては、イエスが再び来る事を信じ、カルトはそれを人間の力で実現実行 信者らを増やそうとする。

人と金を集め 権力を持つ または維持する 拡大するためだけの国や組織 キリスト教ではない宗教団体 キリストを信じない者たちと結束して。

または 力を借り

取り引きし

協同し

利用して利用され。

イエス・キリストは約2022年前、ベトレヘムの馬小屋でひっそり生まれ、ナザレのイエスと言われ 十字架にかけられ 三日目に復活されたかたのみ。

あとにも先にも二度とない。

そしてあのような残酷な事が二度とあってはならない。のだけれど、どうだろう。

ユダヤ人・ユダヤ教とは限らない、イエスを殺したのと同じような事を繰り返してきた国々 組織 団体 人々は今後も繰り返すつもりらしい

喜び

イザヤ書 35:1-6a、10


荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ 砂漠よ、喜び、花を咲かせよ、野ばらの花を一面に咲かせよ。


花を咲かせ 大いに喜んで、声をあげよ。砂漠はレバノンの栄光を与えられ、カルメルとシャロンの輝きに飾られる。


人々は主の栄光と我らの神の輝きを見る。


弱った手に力を込め よろめく膝を強くせよ。

心おののく人々に言え。


「雄々しくあれ、恐れるな。

見よ、あなたたちの神を。


敵を打ち、悪に報いる神が来られる。

神は来て、あなたたちを救われる。」


そのとき、見えない人の目が開き、聞こえない人の耳が開く。

そのとき歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。
口の利けなかった人が喜び歌う。

主に贖われた人々は帰ってくる。


とこしえの喜びを先頭に立てて、喜び歌いつつシオンに帰り着く。

喜びと楽しみが彼らを迎え、嘆きと悲しみは逃げ去る。




ここのところ、夜は20時には布団に入り、朝は6時前に目覚める。

何年ぶりだろう。

力がみなぎる。

とは言っても、身体は年輪を重ねた分確実にガタが

きている。

少しずつ、取り戻そう。

あぁ、以前はよくもあんなに重いものを持って歩いたものだ。

あの時も あの時も あの時も。

一番思い出すのは、祖母に食料を届けた日々だな。

シチューやカレー 豚汁をつくって持って行ったり、

魚や野菜、果物を持って行ったり。

米を持って行った時は、流石に腕が痺れた。

あの時元気に働いていた叔母ももういない。

月日の過ぎ去るのは なんて早いのだろう。

その叔母と、電話で話をしている夢を見た。

二言三言、。

元気そうで安心した。

そこで目が覚めた。

叔母は難聴で 何度も大声で同じ事を話さないといけなかったけれど、夢の中では普通の声で普通に会話ができた。

目が覚めてから それに気づいたのが不思議だった

その叔母が亡くなった報せを受けた日、急いでタクシーに乗って駅に向かった

途中すみれが「ママみて!虹‼︎」

あの頃、そんな事もあったっけ

今は昔

畏れ敬う

第一朗読  イザヤの預言 11:1-10

(その日、)エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる。


知恵と識別の霊、思慮と勇気の霊、主を知り、畏れ敬う霊。彼は主を畏れ敬う霊に満たされる。


目に見えるところによって裁きを行わず、耳にするところによって弁護することはない。


弱い人のために正当な裁きを行い、この地の貧しい人を公平に弁護する。


その口の鞭をもって地を打ち、唇の勢いをもって逆らう者を死に至らせる。


正義をその腰の帯とし、真実をその身に帯びる。
狼は小羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す。

子牛は若獅子と共に育ち、小さい子供がそれらを導く。
牛も熊も共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛もひとしく干し草を食らう。
乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ、幼子は蝮の巣に手を入れる。


わたしの聖なる山においては、何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。
水が海を覆っているように、大地は主を知る知識で満たされる。


その日が来ればエッサイの根は、すべての民の旗印として立てられ、国々はそれを求めて集う。
そのとどまるところは栄光に輝く。




キリストは「逆らいのしるし」となった。

旧約に生きる人々にとって、イエスは脅威だった。

現代用語を使えば、「既得権益」が害される

これまで 彼らによって貧くされた弱い者たちに、

罪を犯させ

罪を着せ

裁き 殺してきた数々の人々に

彼ら自身が恐れ慄いた。

恐れのゆえに、罪なきイエスを十字架にかけた

彼らに逆らった者として。

彼らは自身を神とし、イエスを逆らいのしるしとしたが、実は彼ら自身が、神に逆らっていたのだ

悔い改めの時

マタイによる福音 3:1-12


そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。これは預言者イザヤによってこう言われている人である。


「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」


ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた。

そこで、エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、人々がヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。


ヨハネは、ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て、こう言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。

悔い改めにふさわしい実を結べ。

『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。斧は既に木の根元に置かれている。

良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。

わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。

わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」




洗礼者ヨハネ、

「あなたの熱い思いが私を焼き尽くす」

このかたは、イエスのいとこと言われている。

ユダヤ教徒の最右翼のような人。

過激なことばもまた、神への熱い思いから。

巷でよく見かける二人の赤児の聖母子画は、イエスとヨハネを描いている。

忍耐と慰め

ローマの教会への手紙 15:4-9


(皆さん、)かつて書かれた事柄は、すべてわたしたちを教え導くためのものです。

それでわたしたちは、聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができるのです。

忍耐と慰めの源である神が、あなたがたに、キリスト・イエスに倣って互いに同じ思いを抱かせ、心を合わせ声をそろえて、わたしたちの主イエス・キリストの神であり、父である方をたたえさせてくださいますように。


だから、神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。わたしは言う。

キリストは神の真実を現すために、割礼ある者たちに仕える者となられたのです。

それは、先祖たちに対する約束を確証されるためであり、異邦人が神をその憐れみのゆえにたたえるようになるためです。


「そのため、わたしは異邦人の中であなたをたたえ、あなたの名をほめ歌おう」と書いてあるとおりです。




地上に住む、全ての人々に救いをもたらした

キリスト・イエス

ユダヤ人にも色々な層の色々な人がいる

日本人にも色々な層の色々な人がいる

異邦人であろうと寄留者であろうと、

移住者であろうと、難民であろうと、

富裕層であろうと、貧困層であろうと、

本当に色々な人がいる。

そして

あの人たちは何故、これほど残酷に、

貧しい人々を地上にあふれさせたのか

地上の全ての残酷や不幸は、人間の傲慢に

よるものです

神さまやイエスさまのせいではありません

みなぎる力

マタイによる福音 24:37-44
(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)

「人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。

人の子が来る場合も、このようである。

そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。

二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。

だから、目を覚ましていなさい。

いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。

このことをわきまえていなさい。

家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。だから、あなたがたも用意していなさい。

人の子は思いがけない時に来るからである。」




「家の主人は、泥棒が夜のいつ頃やって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう」

岸田総理大臣、そして議員の皆さんはよろしく頼みますよ?

そして教会は、神さまが守って下さいます。