みなぎる力

マタイによる福音 24:37-44
(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)

「人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。

人の子が来る場合も、このようである。

そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。

二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。

だから、目を覚ましていなさい。

いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。

このことをわきまえていなさい。

家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。だから、あなたがたも用意していなさい。

人の子は思いがけない時に来るからである。」




「家の主人は、泥棒が夜のいつ頃やって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう」

岸田総理大臣、そして議員の皆さんはよろしく頼みますよ?

そして教会は、神さまが守って下さいます。

主の光の中

イザヤ書 2:1-5
アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて幻に見たこと。

終わりの日に主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち、どの峰よりも高くそびえる。


国々はこぞって大河のようにそこに向かい、多くの民が来て言う。


「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう」と。


主の教えはシオンから、御言葉はエルサレムから出る。主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。


彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。


国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。

ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。




人々はどこに向かうのか

ウクライナとロシアの戦争が始まる前、ウクライナの人々は普通に生活していた。

商店で買い物をし、子どもたちははしゃいで遊び、

「ここでは、ウクライナ人もロシア人も一緒に働き 普通に生活している。戦争なんてあってはいけない」

インタビューで、女性が話していた。

どこにでもある 日常の風景。

今や破壊されつくした。

地上の人々は、道を示すものさえ 奪われて

光の武具

ローマの教会への手紙 13:11-14a


(皆さん、)あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。

あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています。

今や、わたしたちが信仰に入ったころよりも、救いは近づいているからです。

夜は更け、日は近づいた。

だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。日中を歩むように、品位をもって歩もうではありませんか。

酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、主イエス・キリストを身にまといなさい。




待降節か・・・

    寒くなったね❄️  ❄️ ❄️

❄️ ❄️ ❄️ ❄️

  ❄️ ❄️ ❄️ ❄️ ❄️

旧約の王

サムエル記 下 5:1-3
(その日、)イスラエルの全部族はヘブロンのダビデのもとに来てこう言った。

「御覧ください。わたしたちはあなたの骨肉です。これまで、サウルがわたしたちの王であったときにも、イスラエルの進退の指揮をとっておられたのはあなたでした。主はあなたに仰せになりました。『わが民イスラエルを牧するのはあなただ。あなたがイスラエルの指導者となる』と。」


イスラエルの長老たちは全員、ヘブロンの王のもとに来た。

ダビデ王はヘブロンで主の御前に彼らと契約を結んだ。長老たちはダビデに油を注ぎ、イスラエルの王とした。




父と子と聖霊の御名によりて アーメン

右と左の犯罪人

ルカによる福音 23:35-43


(そのとき、議員たちはイエスを)あざ笑って言った。

「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」

兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、言った。

「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札も掲げてあった。


十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。

「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」

すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。

しかし、この方は何も悪いことをしていない。」

そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。




父と子と聖霊の御名によりて アーメン

教会

コロサイの教会への手紙 1:12-20
(皆さん、わたしたちは、)光の中にある聖なる者たちの相続分に、あなたがたがあずかれるようにしてくださった御父に感謝(しています。)

御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。

わたしたちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。

御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。

天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。

つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています。

また、御子はその体である教会の頭です。

御子は初めの者、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、すべてのことにおいて第一の者となられたのです。

神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。




父と子と聖霊の御名によりて アーメン

落ち着いた生活

テサロニケの教会への手紙 二 3:7-12


(皆さん、あなたがたは、)わたしたちにどのように倣えばよいか、よく知っています。

わたしたちは、そちらにいたとき、怠惰な生活をしませんでした。

また、だれからもパンをただでもらって食べたりはしませんでした。

むしろ、だれにも負担をかけまいと、夜昼大変苦労して、働き続けたのです。

援助を受ける権利がわたしたちになかったからではなく、あなたがたがわたしたちに倣うように、身をもって模範を示すためでした。

実際、あなたがたのもとにいたとき、わたしたちは、「働きたくない者は、食べてはならない」と命じていました。

ところが、聞くところによると、あなたがたの中には怠惰な生活をし、少しも働かず、余計なことをしている者がいるということです。

そのような者たちに、わたしたちは主イエス・キリストに結ばれた者として命じ、勧めます。

自分で得たパンを食べるように、落ち着いて仕事をしなさい。




そうですね

潜り込んで、会計係の家にドヤドヤ上がり込み飲酒 どんちゃん騒ぎ ちょろまかし、

飲み屋で使ったり 女性に店を出してやったり、

自分のために、

なんて人もいると思いますが、

デジタルや振り込み式になって、係のかたもだいぶ楽になりましたね、どこの国家であれ宗教であれ法人であれ団体であれ。

汗水垂らして働いた人々から集めた税金、献金は

彼らがわざと、

病気にさせたり、障害を負わせたり、働けなくされた人たちのために使ってもらわないといけませんね

恐れるな

ルカによる福音 21:5-19


(そのとき、)ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。

「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」


そこで、彼らはイエスに尋ねた。

「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか。」

イエスは言われた。

「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」

そして更に、言われた。

「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。

しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。

それはあなたがたにとって証しをする機会となる。だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。

どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。

また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。

しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」




2000年以上も前の事。

これらの事の後、世界中、幾度も似たような事が繰り返されてきた。

そして 大地震も台風も洪水も飢饉も疫病も天災も、化学・科学・医療の力、金の力、人間の力で可能になった。

それさえ、すでにご存知だったのでしょう。

人間の 欲 虚栄はキリがないね。

民が民が敵対し、国と国が敵対する。

そして鳶が餌を待ち構えては かっさらっていく。

そしてイエスさまがおっしゃる通り、『死体のあるところには禿鷹も集まる』

なんなんでしょうね

同じ事を繰り返すのは。

預言

第一朗読  マラキの預言 3:19-20a


見よ、その日が来る、炉のように燃える日が。
高慢な者、悪を行う者はすべてわらのようになる。
到来するその日は、と万軍の主は言われる。

彼らを燃え上がらせ、根も枝も残さない。
しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには、

義の太陽が昇る。

その翼にはいやす力がある。




「マラキ」とはヘブライ語で「私の使者」、

「私の天使」という意味

この預言の書、筆者についての正確な情報はない。

ユダヤ教では「後の預言」、キリスト教では「預言書」として扱われている。

さて、

戦争やテロはいつ終わるのか

いつになったら癒されるのか

困ったものだ

燃え尽きることはない

ルカによる福音 20:27-38


(そのとき、)復活があることを否定するサドカイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに尋ねた。


《「先生、モーセはわたしたちのために書いています。『ある人の兄が妻をめとり、子がなくて死んだ場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。

ところで、七人の兄弟がいました。

長男が妻を迎えましたが、子がないまま死にました。次男、三男と次々にこの女を妻にしましたが、七人とも同じように子供を残さないで死にました。最後にその女も死にました。

すると復活の時、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです。」》


イエスは言われた。

「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。

この人たちは、もはや死ぬことがない。

天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである。

死者が復活することは、モーセも『柴』の個所で、主をアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と呼んで、示している。

神は死んだ者の神ではなく、

生きている者の神なのだ。

すべての人は、神によって生きているからである。」




ここにやってきたのは、ユダヤ教サドカイ派の人々。

ユダヤ教二大勢力の一つで、祭司や上流階級を代表する者たち。ダビデ時代の大祭司ツァドクの子孫、または、「正しい」という意味の「サドカイ派」。

実際の彼らは 申命記に記された神の命令を守ることはなかった。

まず、25章1〜罪人とされた者に対する罰としての

鞭打ちに関して、

【人と人との間で争いがあり、彼らが裁判に出頭し、正しいほうを正しいとし、悪いほうを悪いとする判決が下されるとき、もし、その悪い者が、むち打ちにすべき者なら、さばきつかさは彼を伏させ、自分の前で、その罪に応じて数を数え、むち打ちにしなければならない。四十までは彼をむち打ってよいが、それ以上はいけない。それ以上多くむち打たれて、あなたの兄弟が、あなたの目の前で卑しめられないためである脱穀をしている牛にくつこを掛けてはならない。」】

あなたがたの間で悪いとされた者に対し、鞭打ちの回数が制限されている。それ以上辱めてはいけないと、神は命じておられる。

(そして以下は、【ユダヤ人】と限定せずに読んでほしい。何故なら、ユダヤ人と限らず、どこの国にも 民族にも、共同体にも、歴史にも、ある事だから。

何なら今現在も、地上のどこかで人知れず こんな事はある。たまたま神は選びの民として、ユダヤ人の前に現れ、ユダヤ社会をあげ 聖書に記す 遺す 世よ限りなく人類に伝えるという事をさせているけれども、このような事はどこにでも どの国、民族、共同体にもあるからこそなのだ)

 しかし彼らは、自分たちが正しい者と自惚れていながら、イエスをどれだけ辱めたか。十字架の道行をみればわかる。血に飢えた者たちによる必要以上の暴力を 止めようともしなかったのだ。

脱穀している牛にくつこを掛けてはならない】

殻と実を分離させられている牛(人間の代わりにやらされている家畜)にさえ、神は思いやりを示している。うっかりこぼれた実さえ一粒たりとも牛に食べさせてなるものかと、くつこをはめるのはおよしなさい、という事。

裁判、そして十字架の道行で、自分達こそ神を知っている、自分達こそ正しいと自惚れている者たちがイエスにしたことは、家畜にさえしてはいけないと神が命じた事以上の残酷なものだった。

そしていよいよ今日の福音でイエスがおっしゃっている【家名(家系)の存続】について。

【兄弟がいっしょに住んでいて、そのうちのひとりが死に、彼に子がない場合、死んだ者の妻は、家族以外のよそ者にとついではならない。

その夫の兄弟がその女のところに、はいり、これをめとって妻とし、夫の兄弟としての義務を果たさなければならない。

そして彼女が産む初めの男の子に、死んだ兄弟の名を継がせ、その名がイスラエルから消し去られないようにしなければならない。

しかし、もしその人が兄弟の、やもめになった妻をめとりたくない場合は、その兄弟のやもめになった妻は、町の門の長老たちのところに行って言わなければならない。

「私の夫の兄弟は、自分の兄弟のためにその名をイスラエルのうちに残そうとはせず、夫の兄弟としての義務を私に果たそうとしません。」

町の長老たちは彼を呼び寄せ、彼に告げなさい。

もし、彼が、「私は彼女をめとりたくない。」と言い張るなら、その兄弟のやもめになった妻は、長老たちの目の前で、彼に近寄り、彼の足からくつを脱がせ、彼の顔につばきして、彼に答えて言わなければならない。

「兄弟の家を立てない男は、このようにされる。」彼の名は、イスラエルの中で、「くつを脱がされた者の家」と呼ばれる。」】

モーセの時代に神が定めたレビラート婚という掟。

日本にも、昔、身分地位や、都・地方によってそれぞれ、土地の区画や相続に関する決まりがあった。それと同じように、

当時その共同体は、各家系単位に、相続地が割り当てられていた。子孫がなければ土地を相続することができなくなるしくみ。つまり、寡婦となった女は、生計の手段を失うという事。

そして、万が一長男を失った家の家系が絶えてしまわぬように、

また、土地を相続できず、彷徨う者のないようにという思いやり。

夫をなくして「よそ者に嫁いではならない」とは、当時の人々に与えた神のことば。よそ者に嫁ぐという事は、先祖と夫が神から与えられ代々労苦して守ってきた、そして守るべき土地や財を 安易によそ者にやってはいけないという事。

夫を亡くし、生活する手段を失う兄弟の妻が路頭に迷わぬようにしなくてはならない。にも関わらず、特別大きな理由もなく、嫌だ、と拒む、少しの犠牲も払いたくない、という男に対する当時の共同体の裁き、扱い。

その事に関して、サドカイ派の人々はイエスに尋ねている。誰もかれも死んでしまったら、家系が絶えた場合どうなるのか と。

日頃 「死んだ後の復活などない」と言っていた彼らが、人間が生き返った時(復活した時)どうなるのかと聞きにきた。

そこでイエスは、すっかり彼らは忘れてしまっているであろうモーセと柴の事を彼らに思い出させた。

見よ、その柴は燃え尽きる事はなかった。

「モーセ モーセ」と呼んだ天使は、炎の中にいた。

老いてくたびれたモーセは、燃え尽きる事のない炎の中の天使を見た。

重労働に苦しめられているイスラエルの人々の叫びを聞き、

「アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた」神。

苦役にあえぐ者たちの神を呼ぶ叫びを聞き、

神が、モーセを選んだ。

奴隷とされている人々を解放する為に、モーセを選び、呼んだ。

見よ、それは燃え尽きない。

死者の中から復活した者は 燃え尽きる事がない。

この時 あの時代、再び神はイエスを遣わした。

モーセは80才の時、神に呼ばれた。

イエスが神に呼ばれ 洗礼を受け、宣教を開始したのは、30代の青年の時。

娶ることも、子孫を遺す事もなかった。

そして、サドカイ派の人々に、家系が途絶えたらどうなるのか、土地の相続はどうなるのかに関する事はおっしゃらなかった。

主は、肉体は殺されても、死者の中から復活して、今 現在も生きておられる。

つまり 世よ限りなく永遠に、彼の魂、愛が

燃え尽きる事はない。

神の聖霊は、旧い掟に縛られる事なく、その都度、その時代、その地にふさわしいこたえを送り続けてくださっている。

モーセの時代、罰に関するものも、家畜に対するものも、家系、土地の相続に関するものも、神が最も大切にした事、掟の源泉は、思いやり、愛だった。

あとはその時生きていた人間がつけた副次的なもの。

必要以上の残酷な罰、家系や土地の事で、奪え、殺し合えというものではない